2013年4月28日日曜日

2006年7月26日 Byers Lake

テントから這い出すと外は快晴だった。まさに昨日の雨が嘘のような晴れ模様だ。
キャンプ場を流れる川が目に眩しい。

昨日は天気もいまいちで気分も乗らなかったが、今日は楽しんで走れるだろう。


調子に乗ってキャンプ場の風景をデジカメで写真を撮っていたが
不注意で落としてしまい、液晶が割れてしまった。なんてことだ。

ただ液晶がダメなだけで、写真自体は撮れているようだったので
結局、液晶が壊れたまま最後まで使用した。


カメラのことは忘れることにしてテントをたたみ、自転車に荷物を着ける。
数ヶ月前にニュージーランドを旅していたおかげで、朝の撤収作業もスムーズだ。

作業しているとドラマか何かに出てきそうなちょっとポッチャリした少年が話しかけてきた。
昨夜、私が寝付いてからやってきた隣の家族連れの少年だ。

"Are you  a biker?"

アメリカ英語だと自転車乗りは「biker」になるのか。
ニュージーランドでは「cyclist」と言われたものだが。

「そうだよ。自転車乗りだ。デナリとフェアバンクスまで行くんだ。」

この時は
「そうだ、デッドホースまで、北極海まで行く。」 とは言えなかった。

初日でアラスカのスケールに圧倒されてしまったのかもしれない。
中途半端な答えをしてしまったものだ。

少年の横にいた母親が
「おはよう、きのうデナリに行って来たのよ。
デナリで買い物すると高いから手前のキャントウェルで買い物するといいわ。
あなた、アメリカンフードは好き?あのあたりならハンバーガーも安かったわよ。大きいやつね。」
大げさな身振りをしながら教えてくれた。

この先に会った多くの人々もいろんなアドヴァイスをくれた。
自転車旅をしていると、こうしたことが本当にありがたい。

少年と母親に別れを告げ、走り出す。

道はやがてTalkeetnaとの分岐に行きあたる。
タルキートナは小さな飛行機会社がいくつかあり、
マッキンリー登山の基地として有名だが、そこから先は道がない。

私はそのままParks Hwyを北上した。






アンカレッジからフェアバンクスに抜けるParks Hwyの上を走り始めて見えたのは
野田知佑の世界でも星野道夫の世界でもなかった。

パークスハイウェイの上には「アラスカ」という大地に作られた「アメリカ」があった。

無駄に大きい車。
森をぶち抜いてまっすぐに作られた道。
カフェには薄いコーヒーとハンバーガー、脂っこいブレックファースト。

私は大きな勘違いをしていたようだ。
アラスカはやはりアメリカという前提をとっている。とくにハイウェイの上では。
後にこの認識は間違いではなく、川を旅した男たちは私と違ったアラスカの世界の話をしてくれた。
特にこのParks Hwyは南部の都市アンカレッジと中部の都市フェアバンクスを結び、
なおかつ北米最高峰のマッキンリーを有するデナリ国立公園を通るのであるから当然と言えば当然であった。

一方、フェアバンクスから先は確かに荒野と辺境があった。
それはしばらく先の話だ。

Parks Hwyはデナリの付近まで森に囲まれた単調な道が続いた。
そんな道を走っていると人生の悩みが頭をもたげてくる。 

これまでの旅とこの今の旅。
旅の後の生活。

様々な不安を打ち消すために逃げ出すように私はこの旅に出たのだろうか。

それともいつの頃からか私の夢となったアラスカの地を
自分のやり方で旅がしたかっただけだろうか。

分からない、答えの出ない同じ問いが何度も何度も頭の中を巡る。


ふいに視界が開け明るい湖が見えた。



悩むこともこの先たくさんあるだろう。
今はただ、この景色を、旅を楽しもう。

世界のあり方は自分の世界の見方に託される。
いくら悩みがあってもこの美しい世界を否定できるだろうか。


などと真面目なことを考えていてもずっと自転車で走っていればお腹が減ってくる。

湖を回るように走ると「His & Hers Lakeview Lounge & Restaurant 」というお店があったので
入ってみる。

コーヒーとクラシックバーガーを注文。
窓の向こうに湖が見える。

 コーヒーは相変わらず苦笑してしまうほど薄かったが、バーガーは抜群に美味しかった。


 
充実した食事を済ませると再び走り出した。 


何気なく川に架かる橋を越える。


後にフェアバンクスでお会いする渡邉さんという日本人を不幸のどん底に落とすのが
おそらくこの川だ。

およそひと月後、アラスカ史上まれにみる大雨が降り、橋が崩落してしまう。

レンタカーでフェアバンクス方面からアンカレッジ方面に向かっていた渡邉さんは
迂回路のほとんどないParks Hwyをここで寸断され、
フェアバンクに戻り、東回りでアンカレッジ方面へ抜けたという。

おかげで渡邉さんは日本半周ぐらいアラスカをドライブする羽目になったそうだ。

私は帰国した渡邉さんからそのメールをもらったとき半信半疑だった。
とてもそんなやわな橋だった印象が全くなかったからだ。

参考ブログ
http://yukon780.blog.fc2.com/blog-category-13.html

↑渡邉さん(婿入りされて河合さんになった)のブログはかなりおもしろいので
ぜひ読んでもらいたい。

 
 さらに北に進み途中のTrapper Creekのゼネラルストアで食料とコーラ、ポストカードを買う。
店を出ると外でキャンピングカーに乗っていた男性に話しかけられる。

「さっき、途中で君を追い越したんだ。この明るい布がとても目立って安全でいいね。」と言ってくれた。

私は自転車の後部の荷台の上に大きなバッグを載せていたが、
そこに蛍光のベストを巻きつけてあった。

これまでの旅では車に対する配慮をほとんどしてこなかったが、
ニュージーランドをしばらく共に旅したスイス人が、向こうで別れた後、
交通事故に合い、自転車でしばらく走れなくなったことから私も注意するようになった。

また彼女はいつも私が黒い服を着ていたの思い出し、明るい色の服を着るように言っていた。
彼女は私より20歳近く歳が上で、よくいろんなことを心配してくれた。
彼女は元気だろうか。


道はやがて登り基調になる。
アンカレッジから132マイル。ここから北はデナリ州立公園になる。

ときおりデナリの山々が遠くに見える。
この日はアンカレッジから147マイルのところにあるByers Lakeのキャンプ場に泊まることにした。

キャンプサイトの入り口には水場があり、綺麗で冷たい水があふれていた。
頭から水をかぶる。なんて気持ちがいいんだ。

人気のキャンプ場なのかけっこう先客がいたが、サイトが広いので殆ど気にならなかった。
 それよりも「数日前にトレイルをブラックベアが歩いていたので注意!」
という看板のほうが気になった。

私が使っていたガイドブックにも
CAUTION:Bears frequent campground.Keep a clean camp」とある。

ここは鉄製のフードコンテナがあって、食料はそこに入れるようになっていた。
アラスカの公のキャンプ場はこういうパターンが多い。
一方、個人経営のキャンプ場は夜間、食料を経営者の家で預かってくれる。


夕食を済ませ、ベイヤーズ湖畔を散歩する。
実はもう夜9時くらいなのだが、白夜に近いこの時期は夜中まで明るい。
本当に美しい湖だった。

ウィスキーを飲みながらしばらく湖を眺めた。

 



 


****************
この日の出費

H&H Lakeview Lounge & Restaurant 11.75ドル
Trapper creek Generalstore 3.5ドル
ジュース 2ドル
コーヒー  1ドル
キャンプ場 10ドル

2013年4月22日月曜日

2006年7月25日 an American cafe

アラスカに来る前からアンカレッジからはParks Hwyを北上し、まずはアラスカ中部の都市フェアバンクスを目指すことに決めていた。

アンカレッジからフェアバンクスをつなぐParks Hwyは2つの都市を結ぶ主要なハイウェイである。
途中、マッキンリー山で有名なデナリ国立公園を通るこの道は
ハイウェイ上に街が点在していることから
アラスカに慣れるにはいい練習になるだろうと考えた。

アンカレッジから郊外に出るまでにかなり時間を要した。
というのも、都市部は自動車専用道が多く、自転車は側道のバイクトレイルを行かなくてはならず、
途切れ途切れのバイクトレイルを見つけるのに苦労した。

 

アンカレッジの次の街、Wasillaまではアンカレッジから42マイルほどだが、
ひどく長く感じた。ペダルを踏んでんも踏んでも進まないような気がした。


道の向こうに橋が見えてきた。川だ。

昔、野田知佑の本で見たスケールの大きな川がそこにあった。
河口はグレーに濁った川が殆どだ、
と野田知佑が書いていたように思うがまさにそんな感じだ。

本でしか見たことのない世界に来たんだと思った。

自然に写真を撮った。長い長い橋を渡る。


ワシラで遅めの昼食を取り、再び走り出した。  
 





天候もすぐれず、雨が降ったり止んだりといった状況で、
ハイウェイも大きな街の近くということもあり
バイクトレイルが途切れ、ハイウェイの端を車がビュンビュンとばす中、
走るのは楽しいとは言えなかった。

昼食後、休憩らしい休憩も取っていなかった。

そろそろ休憩するか、と思いながら数マイル走ると
ハイウェイ沿いに「CAFE」とデカデカと太い字で看板を掲げた店を見つけた。

80年代のにおいがする少し古びた佇まいだ。
「おっ、いかにもって感じじゃないか。」 私は迷わず店に入った。


店は正面にカウンター、右手奥がバーになっており、ビリヤード台が見えた。

地元の客だろうか、壁際のテーブルではテンガロンハットを被った
初老の男性がポテトをむさぼっていた。


さして腹が減ってなかった私はナイフフォークのセットされたテーブルを避けて、
正面のカウンターに腰を下ろした。

「ハイ」
30代後半ぐらいだろうか、店の女性が元気に声をかけてきた。

「コーヒーを」

いつもはコーヒーはブラックだが、ツーリング中は体が求めるので、
ミルクと砂糖を入れることが多い。
このときもミルクと砂糖を加えて、カップを口に運んだ。

「薄!!!!」

これは、、、、麦茶だろ?
あまりのコーヒーの薄さに私は驚いた。
なるほど、これがまさに「アメリカン・コーヒー」という訳か。
(その後、多くのカフェやレストランでコーヒーを飲んだが、ここが一番薄かった。)
驚きながら、コーヒーを半分ほどあけると先ほどの女性がすぐにおかわりを注いでくれた。

あぁ、なるほどみんなこうやって薄いコーヒーを何杯も飲むわけだ。



店の中を見回すと、時間は三時を少し回ったくらいだったが
殆んどの人が食事をしていた。

正面のホワイトボードに「Today's special $7.5」と書いてあった。
運ばれていく料理を見ているとボリューム満点、ポテト盛りすぎ、ソースかけすぎの
アメリカンディッシュだ。

そんなカフェの様子を見ているだけでおもしろかた。
他の客がテーブルにチップを置いて出て行く。
そうか、この国はチップが要るんだ。

私は店の女性に聞いた。
「なぁ、日本にはチップってものがないんだ。普通はどうすればいいんだ。教えてくれ。」

店の女性は少し考えて
「そうねぇ、食事した人はだいたい1ドル置いていくわ。
あなたは75セントだから…どちらでもいいわ。」
と答えてくれた。

「ふーん、そういうものなのか。どこでもそんなものかい?」と私は重ねて聞いた。

すると、私の隣で黙々と食事をしていたイレズミの男が、
食事の手を休めず、一言、


「代金の15パーセントだ」といった。



結局、私は1ドル置いてカウンターを離れた。

カフェを出るときに男が声をかけてきた。
片言の日本語を話す男で北斎のTシャツを着ていた。
なかなか面白い男だったので帰国後、北斎のポストカードを送ってやると
忘れたころに「I love SAKE!」の一文で始まるたどたどしい日本語のハガキをくれた。
いいやつだ。




カフェを出るとバイクトレイルを再び走る。
睡眠不足のせいか、あろうことか走りながら寝てしまい、
バランスを崩して目をさました。
危ないところだった。



やがて雨が降り出す。

この日の目的地、Willowに到着。
小さな街だったがビールは買うことが出来た。
キャンプ場へ行く。

雨の中、テント張るのは憂鬱だったので
キャンプ場の受付の男性にキャビンの料金を聞くと100ドルだという。
論外だ。
「でも、今日なら50ドルでいいよ」と言われるが
諦めてキャンプサイトにする。

ここはランドリーとシャワーがあり快適。

ランドリーでチェックインでいっしょになった親子連れの父親と話す。
彼の兄は日本語とタイ語を話すヨガの先生らしい。
彼が私に「Nice English」と言ってくれたのがうれしかった。
人によって聞き取りやすい英語とさっぱり聞き取れない英語があるのはなぜだろう。


洗濯が終わると屋根があるところで食事をつくり、テントで日記を書いた。
前日寝ていなかったので早めにテントに入った。

降ったり止んだりを繰り返す雨音にときおり目を覚ましながら眠りに落ちた。
明日は晴れるといいな。


****************
この日の出費

コピー代(エアチケット他) 0.28ドル
ガソリンスタンド(軽食)   4.28ドル
カフェ                1ドル
昼食              9.51ドル
ビール              2.8ドル
キャンプ場           16.7ドル

2013年4月17日水曜日

2006年7月24日 Alaska,Anchorage

2006年夏。
アラスカ、アンカレッジの空港に到着した。



祖母の訃報を受け、予定を残り2ヶ月繰り上げて
旅先のニュージーランドから帰国したのがその年の4月だった。

帰国後、再びニュージーランドへ行くか、それともしばらく日本で過ごし、
アラスカに行くかしばらく考えていたが、アラスカを自転車で旅をするなら短い夏の期間しかない
という結論に至り、アラスカ行きを決めた。


韓国経由でアラスカ入りした私は入国審査を済ませ、さして広くない空港の建物の外へ
自転車の入った大きな段ボールを運び出すと自転車を組み立て始めた。

自転車を組み立てていると一人の男性が話しかけてきた。


「自転車でどこまで行くんだ?」
「プルドーベイ。デッドホースまでだ。」私は答えた。
「デッドホース!ワオ、far northだな。気をつけてな!」男性は少し驚いた様子でそう言い、去っていった。


アンカレッジはアラスカの南部、アラスカ湾に面している。
デッドホースはアラスカ北岸、北極海の街である。
分かりやすく言えば、アラスカの地図の真ん中に縦に線を引くと
南端がアンカレッジ、北端がデッドホースだ。

今回、旅の目的地をデッドホースに決めていた。
文字通り世界の果てに行く、ということにあこがれていたのだと思う。
きかれたからそう答えたが、正直このとき行ける気は全くしなかった。
ただ、誰かに宣言しなくては行けない気がしたのも事実だ。


自転車を組み立て終わると空港から近い宿に向かった。
宿は相部屋の安宿で一泊20ドル程度。
共用のキッチンとバス・トイレがあり、庭では部屋より安い料金で
持ち込みテントで泊まることが出来るらしかった。
海外ではこういう宿泊施設は多いようだ。

チェックインを済ませ、アンカレッジ中心部へ買い物に出かける。
まずは数日分の食料の確保をし、アウトドアショップでアラスカの旅の必需品、
ベアスプレーを購入する。これから始まるキャンプ生活に備えてだ。



アラスカでキャンプというのは常にクマに襲われるリスクが伴う。
北米最高峰のマッキンリーのあるデナリ国立公園のようなところだけでなく、
小さな街の郊外のキャンプ場でも例外ではない。
そしてクマに襲われるというリスクはそのまま生命のリスクになる。

管理人のいるキャンプではテントにクマが来ないように食料を預けるのが当たり前だし、
原野で寝る場合は食料、医薬品の類はテントより風上に離して置くようにしなくてはならない。
そして万が一の場合に使うのがベアスプレーだ。

これは強烈な唐辛子スプレーで一応クマが撃退できるということになっており、
アラスカを旅する人は必ずと言っていいほど持っている。
私は一ヶ月の旅の間、幸いにも使わなくて済んだ。


宿には二泊し、出発の準備をした。
その間、日本人の宿泊客からデナリの情報を聞いたり、キャンプしている人から周辺のキャンプ場の状況など話を聞いた。

アンカレッジを離れる前夜、緊張で全然眠れなかった。
未だかつて経験したことのない広大な自然に足を踏み出すことに恐れを抱いていたのだと思う。
日本から持ち込んだウィスキーを飲む。

二段ベッドの上にいたが、下で寝ていた男が声をかけてきて
「なあ、歯磨き粉持ってない?」と言った。
マイペースなやつだなと思いながら歯磨き粉を貸してやった。

彼のおかげで少し緊張はほぐれたが、 結局朝まで眠れなかった。


朝が来た。
全く眠れなかったが、身支度をし、衣食住のすべてを自転車に積みアンカレッジを後にした。
まずはアラスカ中部の都市、フェアバンクスまで行こう。
デッドホースに行くかどうかはそこまで行って考えればいい。

こうして私のアラスカの旅が始まった。

アンカレッジの観光案内の隣にある看板。極北のプルドーベイまでの847マイルはとてつもなく遠く思えた。