2013年7月17日水曜日

雨のWiseman 2006年8月7日

「こんにちは、予約の人ね。オフィスはこっちよ。」

カリブーの角がたくさん架かったゲートを抜けると
建て増しをしているログハウスから女性が声をかけてきた。

「雨が降る前に着いて良かったわね。」

女性の後をついてログハウスに入る。中は家族だろうか、中年の男性と中学生ぐらいの子がソファに座ってテレビを見ていた。

オフィスの前にここはホストの家、というわけか。
宿泊者のフォームを記入していると黒のラブラドールが隣の部屋から軽い足取りでやってきた。

久しぶりにゆっくり休めそうだ。

Boreal Lodgeのポストカード


*******


朝、出発するシャロンを見送りながら、キャンプを撤収。
今日は殆ど走らないのでゆっくりしたものだ。
遅めの朝食を摂りにレストラン兼ジェネラルストアに行く。

今日泊まるワイズマンの宿へ予約の電話。
さっぱり使えなかった『地球の歩き方』だったが、ここにきて役に立った。

「日本のガイドブック持っているが、ディスカウントできるか?」と訊くと
「大丈夫よ、10%ディスカウントしておくわ。」と電話口の女性が答えてくれた。


食事に行くときのうとは別の女性がカウンターにいた。

コールドフットの女性はかわいいな。


遅いとはいえ、バターがたっぷり塗られた薄切りのトーストと
ハッシュポテト、カリカリベーコンはボリューム満点だ。
自転車旅のさなかでなければとても食べ切れないだろう。

そんな朝食を楽しんでいると数人のサイクリストが見えた。


ささっと食事を済ませ、彼らと話す。



自炊用のバーナーストーブのガスの残量が少なくなってきていたので
どうしているか聞いてみると、
彼らは水を入れるとパッケージごと温まる携帯食を使ったりしているようだ。

昨日も話したサイクリストがガスカードリッジを投げて寄越した。

「使いかけだけど、使ってくれよ」

「いいのか?」

「一人ここで帰ることになったんだ。使ってくれ。」

いいやつだ。本当に私は周りに迷惑かけてばかりだ。
彼は黒いウェアに身を包み、腕にはipod、バイクはスペシャライズドのM5だった。
おしゃれなサイクリストだ。

左はオランダ人アリー。真ん中の男がガスをくれた男だ。右の男は名も知らない。だが、いいだった。

アリーが後に送ってくれた写真

彼は連れ二人と三人でデッドホースへ行くそうだ。
彼らのスケジュールを聞くと私と考えていることはだいたい同じで
ブルックス山脈を越えるのに2日、峠からは3日を見ているようだ。
年配の男性も一緒ですごいなと思った。


コールドフットを後にする。
舗装路は終わっていたが、それでも土がしまった道で舗装路とあまり遜色なかった。

ゆるいペースで走る。

アークティックサークルの日のような空で
雨が降るな、と思っていると昼を回ったころ、雨が降り出した。


雨がひどくなる前、ワイズマンに到着。

今日の宿、Boreal Lodgeは少し迷ったが見つかった。
荷物を出そうとまごまごしていると、電話で話した女性だろう、出てきてくれた。 


コールドフット北、34マイルに位置する
かつて炭鉱で栄えた人口わずか20人ほどの村、「ワイズマン」。
『アラスカ物語』のフランク安田が一時期暮らした村だ。

前日のコールドフットからわずかしか離れていないが、
このアラスカの歴史的な村でゆっくりしたいと前々から思っていた。

この機会を逃せば、次はあるかどうかも分からなかったからだ。



オフィス兼住宅のログハウスから100メートルほど奥に砂利の私道を進むと客用の建物が見えた。
五つほどの部屋の並んだログハウスだった。


部屋はシングルを頼んだがツインをあてがわれた。
見た目ログハウスだったので、部屋の中は殺風景なものかと思ったが
並みのホテルより清潔で私は少し驚いた。

これなら来るのが面倒でなければ何度でも来たいな。


荷物を部屋に運び終る頃、雨が降ってきた。


「寒いな」


部屋の外に置かれた温度計に目をやると
華氏55度(摂氏12度)。


北極圏に入ってから北に進むにつれ、日に日に寒くなっていた。
着るものは自然と厚くなっていったが、こうして数字として知ると余計に寒く感じた。

村を歩こうと思ったが、少し雨が弱くなるのを待つことにした。

バイクメンテナンス。すぐにチェーンが黒くなる。


久しぶりのシャワーを浴び、ランドリーを片づける。
ホストファミリーの家に行って、息子に両替してもらい、ランドリーのスイッチを入れてもらった。

ホストの家。今は使われていないのだろう。思わずシャッターを切った。



昼食。シャロンにもらったサーモンをほぐしてフレークにし、どんぶりにした。





昼食後、キッチンでココアを見つけたので、ココアに少しウィスキーを加えて飲み始めた。
体を沈めたソファーが心地よい。


もう何度読んだか分からない歴史小説を読む。

屋根のあるところ、暖房のある部屋の贅沢。
普段の生活の有り難味をふと思った。



雨が小降りになったのでレインジャケットを着て
ワイズマンの村を歩き始めた。


衛星放送のアンテナ。これも一つのアラスカ。



人口25人と聞いていたが、村はそのわりに広かった。
針葉樹の間を小道が延びており、隠れるように家があった。


それらの家は真新しいログハウスであったり、
何かの寄せ集めの危うく廃屋に見えるような家もあった。


かつてのポストオフィス。
営業時間のかかれた看板がそのままになったままポストオフィスは閉まっていた。

村のジェネラルストアを見つけ、入る。


ここは村が活気づいていた頃、ここには多くのひとが訪れたのだろう。
今は古びた様々な日用品が並んでいて、小さな博物館のようだった。

そうしたかつての名残の中に、いくつか土産物と食料が置いてあり、無人販売になっていた。





昔の古びた日用品の中に真新らしいコーラなどが置いてあるのはなんだか不思議だった。


宿に戻る途中、多くの花壇を見つけた。
北極圏に住む人々が短い夏の間に花を育てると思うとなんだかやさしい気持ちになった。



いつもは雨を恨めしく思うが、
雨の中、こうして静かにアラスカのにおいのする村を歩くのは悪くなかった。




Jap Creek。フランク安田も妻とこの川を見たのだろうか。





昼食後飲んだ、ウィスキー入りのココアのせいか少し頭がぼーっとする。
レインウェアを打つ冷たい雨が心地よかった。

人気のない村を歩いて宿へ帰った。










2013年7月10日水曜日

Coldfoot 2006年8月6日

朝、シャロンの車で目が覚めた。
運転席でも十分広かった。少し背中が痛いがよく眠れた。

外でビクビクしながらテントを張らずに済んでよかった。


外はとてもいい天気だ。


シャロンが出てきたのでお礼を言う。

今日はシャロンは友人とここで会う約束をしているらしく、すぐには出ないそうだ。
私が自転車のメンテナンスをしていると珍しそうに写真を撮っていた。


アークティックサークルの前で写真を撮っていると、
シャロンは私のフィルムカメラで一枚撮ってくれた。



「フィルムのカメラなら任せておいて!」
シャロンは嬉しそうに笑った。
シャロンに再びお礼を言い、走り出した。


ダルトンハイウェイはアークティックサークルからしばらく舗装路になる。
正直、この区間はかなり助かった。
ただ道は相変わらずアップダウンというよりアップのほうが多い気がする。

きつい上りが4本。
今後はこれよりきついのがあるぐらいに思っていないといけないかもしれない。
ブルックス山脈を越えるAtigun Passはこんなものではないだろう。




昨日はときおり雨に降られるような天気だったが、今日は打って変わって快晴。

本当に気持ちがいい。


日射しは強いが吹き抜ける風は冷たい。
 

なぜか橋の上に置いてあった未開封のビール。天の恵みだ。有難く頂いた。



もうここは北極圏の中なのだ。


上りも多こともあったが、
とにかく景色が良くて写真ばかり撮っていてペースが上がらない。



ハイウェイ上にときおり落ちている棒。道幅を示すものらしい。抜けて放置されたものをもらってスタンド代わりにした。調子よし。


ダルトンハイウェイの終り、デッドホースまで244マイル。



随分来たんだな。


今日の目的地のコールドフットに到着した。

街の手前のビジターセンターはかなり立派な施設だった。



中にノートが置いてあり、訪れた人たちがいろいろ書いていたが、意外と日本人の記載が多い。
ほとんど車で何人かで来ているようだった。

ビジターセンターから少し離れたところにコールドフットの街がある。

ColdfootのPost office 午前中しか開いていないらしい。Web上から転載

北極海のデッドホースまでの最後の補給基地だ。

Coldfootのレストラン。必要なものはすべてここにある。Web上から転載

コールドフットは街とはいえ、郵便局にレストラン、ガソリンスタンドに宿泊施設があるだけだ。
『Milepost』によれば、キャンプ出来る場所があるようだが、分からない。

困っていると、感じのいい男性が「テントならあっちの方ならどこでもいい」と、草地の駐車場のようなところを指してを教えてくれた。
キャンプは無料だった。

水も使えて快適だ。


レストランに入ると、 レジの前でシャロンに再会。
しばらく話す。明日はワイズマンに行く予定なので
ワイズマンで食料が手に入るか尋ねると。店の女性に確認してくれた。
店の女性によれば、ワイズマンでは満足に食料は買えないのでは、ということだった。

そこで「ジェネラルストアはどこだ」ときくと「ここよ」と言うので
「?」という顔をしていたら
「必要なものを書いてくれたら用意するわ」と言った。

欲しいものをリストアップし、女性に渡す。

食パンは一斤凍ったものが出てきた。
インスタントのマッシュポテトやラーメンは無いという。

パスタは何がいい?と訊かれたので「ねじったやつ」と言うと希望の物が出てきた。
またフルーツの缶詰、昼食用のパイ、ツナ缶4つを手に入れた。

「ジャムはない?」と訊くと彼女は
「この中のものを必要なだけ持って行って」と、レストラン用だろう
一回分の小分けになったジャムの入った瓶を差しだした。

私は一つかみジャムを頂いた。


Coldfootのレストラン兼ジェネラルストアの女性。美人だった。写真を撮らせてもらった


レストランでビュッフェスタイルの食事。
冷えたビールがあった。2杯ほど飲む。

料理を取ってテーブルを探していると声をかけられた。
シャロンだ。


彼女のテーブルで一緒に食事する。

シャロンの亡くなった旦那さんは日本を訪れたことがあり、
シャロン自身も約40年ほど前の1963年に日本に行ったことがあるそうだ。

シャロンに「どうしてアラスカに来たの?思っていたアラスカと実際来たアラスカはどう?」と訊かれる。

私は野田知佑や星野道夫の話をし、彼らが語るアラスカにあこがれたんだと伝えた。

しかし、私の拙い英語では十分伝わらなかったようで、
困っていると隣のテーブルの男が立ち上がって話しかけてきた。

聞けば、14年前に8ヶ月の間、ヒッチハイクで日本を旅したことがるらしい。



北海道からスタートし、鹿児島まで行ったという。
シャロンの間に入って通訳してくれた。

彼が突然「オドリアホウニミルアホウ」と言って阿波踊りのまねをはじめたので笑ってしまった。
四国にも行ったらしい。

「四国いいところだよな。私も好きだよ」と私は答えた。
四国か。また行きたいな。


シャロンと話してしているうちにフランク安田の話になった。
Wisemanに彼が住んでいた近くの川が
「Jap Creek」と呼ばれていると話すと興味を持ったようだ。

それから思い出して、ア-クティックサークルからここまでで
『Milepost』の記載が間違っていたところがあったので、
そのことを伝えるとシャロンが意外なことを言った。

「そう、『Milepost』はまだ発展途上のものよ。だから間違いもいっぱいあると思う。気がついたことは言ってね」
『Milepost』はかなり細かいガイドブックであり、
アラスカではメジャーであるため、ライターからそういう話は出るのは意外だった。


食後、レストランを出て外でぶらぶらしていると
トレイラーのドライバーの男性が話しかけてきた。

「君をハイウェイで見かけたよ。バイカーだろ?」と言うと握手を求めてきた。
「ときおり、ダルトンハイウェイで疾走する自転車を見たよ。」

そうやって見られていたことが新しい。


テントに戻るとシャロンの車が隣にいた。
シャロンは車から降りてくるとたくさんの食料をくれた。


有難い。今回は出されたものはすべて頂いた。


明日はWisemannに行きたい。

Sharon Nalutの車





Sharonがくれた食料