2013年8月25日日曜日

ここが世界の果てならば 2006年8月10日

ダルトンハィウェイ、マイルポスト332
北極海のデッドホースまであと、82マイル。


「今日が最後だ。」


いつものようにパンを焼き、珈琲を淹れる。
地図を眺め、どこで休憩をとるか、大まかな予定を立てる。
もっとも、予定通りにいった試しなどなかったが。

淀みのない動作でキャンプの撤収をし、自転車に荷物を積んだ。

ツンドラの中で過ごしたこの時間を私はきっと忘れないだろう。
この風景は私の一部になった。



今日行けばこの旅は終る。



この言葉を趨反するうちに静かな闘志が沸いてきた。


いつもよりペダルを踏む足に力が入る。
通り過ぎるマイルポストが1マイルずつ確実に進んでいることを教えてくれた。


今日で終わるという興奮を抑えきれないまま走り続けた。



20マイルほど走ると丘の上に場所の割に立派なアウトハウスがあった。
ここの名前がなんともいい。
その名も「Last Chance」。確かにこの先、アウトハウスはデッドホースまでない。

"Last Chance"web上から転載


Last Chanceのある丘からはダルトンハイウェイを一望することができた。
これまであったハイウェイ上に設けられたアウトハウスよりも周囲が開けており、
これならキャンプするのにももってこいだ。

実際「Last Chance」には多くのハンターがキャンプしていた。

あるハンターたちはまさにカリブーを解体しているところで
私はしばらくその風景を眺めていた。
のこぎりで乱暴に解体すると頭を谷の向こうに投げ捨てるのを見てなんだか残念な感じがした。きっと彼らは外から来たハンターなんだろう。

 彼らの一人と話をする。
「カリブーのソテー食ったことあるか?ポークチョップみたいだぜ。食うか?」

食べてみたかったが、残念ながら私は「Last Chance」に着いてすぐ食事を作って食べてしまっていた。

「食べたことないんだけど、さっき食事して食べれないんだ。ありがとう。」
この時断ったことを今でも後悔している。


別のハンターと話をする。
ジャン・レノのような風貌のちょっと厳つい男だ。
私の旅についていろいろ聞かれた。

「アンカレッジから17日だ」と言ったつもりだったが
「seventeen」が「seventy」と聞こえたらしい。

するとジャン・レノ風の男は「お前今、70日って言っただろ?17日かよ」  と怒った様子だった。そんなことで怒るなよ。こっちは英語がロクにできなくて困っているんだから。


もうひと組、別のハンターたちがいたので声をかけようとすると 黒いレトリバーが威嚇してきた。


何か小動物を解体していた男性が「ヘイ、彼は友達だ。」とレトリバーをなだめてくれた。
彼らはボウガンでライチョウをハンティングしているらしい。

ナイフ一本で上手にライチョウの皮と身を切り分けていた。
ハンターもいろいろな人がいるようだ。


ハンターたちに別れを告げ、再びハイウェイに戻る。



ツンドラの中にしばしばテントを見かけた。



いいな、こういうの。
こういうところでキャンプしたりハンティングしたりして過ごすのは最高だろう。
 








目に映る景色の全てが眩しかった。そして、やさしく強かった。



空をゆく雲はツンドラの小さな池に映りこみ、空がふたつになったようだった。

茂みの間にいくつもの小さな花と真っ赤な実を見つけた。
そこかしこに命は生きていることを主張していた。


これがほんとうに極北なのか。寒々しい先入観が冗談のように思えた。
アラスカの夏はもっと様々な表情をもっているんだろう。
視界の端に消えてゆく景色と先に広がる景色に想いを馳せた。


三度の休憩を挟み、残すところ20マイル。


ここまで来て止まる筈がなかった。
1マイル進むたび、残りのマイルを叫び、走った。

向こうに工場のような建物群が見えた。
デッドホースの街だ。



道の終わりだ。



たどり着いた。ダルトンハイウェイ415マイル。走りきった。

私の「旅」という言葉に魅了され、それ故に苦しんだこともあった旅は終った。



デッドホースに入ると一番有名な宿、「カリブーイン」へ向かった。
ここで最果ての土産を買い、食事をすることにした。

カリブーインで購入した土産。上のふざけたマグネットは今も冷蔵庫に貼ってある

宿の中でボーとしていると、
興奮した子連れの日本人夫婦が、

「日本人ですよね!自転車で走ってるの見ました!ここまで車でも大変なのに!」
と話しかけてきたが、疲れていたので軽くあしらってしまった。
今思えば、家族でわざわざデッドホースへ来るこの一家もなかなかやると思う。
もっと話せばよかった。悪いことをしたものである。
 
ただ、この時の私が話したかったのは実感をもって共感してくれる人だった。


ダルトンハイウェイを自転車で走ることは決して楽ではないけど、
やってみれば誰でもできることだと思う。
ただ、みんなあまりやろうとしないだけだ。


レストランが食事の値段が思いのほか高く、食事をとるかどうか躊躇したが、
空腹には勝てず、ビュッフェ形式の食事を食べることにした。

トレイに大盛りの食事とデザートの温かいベリーのパイを乗せると
キッチンの男性が笑顔でスプレー缶に入ったホイップクリームをパイに盛ってくれた。
好意は何でもうれしい。

レストランは仕事で来ている人だろうか。作業着の男性でごった返していた。
席を探してきょろきょろしていると奥から「Hi!」と声がした。

声をかけてくれたのは、最後の補給地点、コールドフットであった年配のサイクリスト二人組みのアリーとレオだった。
レーサージャージを着ているところを見ると、彼らも着いたばかりのようだった。

「あれからどうだった?そうか、ワイズマンで一泊か、あの日は雨だったもんな。それは正解だったかもしれん。あの日は辛かったよ。それから3日か。さすが若いだけあって速いな。」

レオが矢継ぎ早に話しかけてきた。

食事をするのを忘れてお互いのこれまでを話した。
共通の話題は私の拙い英語でも十分盛り上がった。


食事をしていると、もう一人、知っている人がやってきた。
『Milepost』のライター、シャロン・ナルトだ。

「Hi,Sharon!」私は彼女をテーブルに呼んだ。

「あら!無事に着いたのね。おめでとう。アティガンパスから3日って言ったのは正しかったでしょ?」と彼女はウィンクしてみせた。

私はその行程を5日と読んでいたが、コールドフットでシャロンにそう言われていたのだ。
実際その行程は三日で走破した。
さすが、長年ガイドブックを書いているだけの事はある。

帰国後、レオが送ってくれた写真。カリブーインの前で。左がアリー、右がレオ。

シャロンと老練のサイクリスト二人を交えて食事をする。

アリーたちとシャロンはお互い気が付かなかったようだが、ガルバライスというところのキャンプ場でシャロンと彼らは同じ日に宿泊したようだ。

シャロンによるとその日は雪が降ったらしい。
ちょうど私がアティガンパスを越えた日だ。
確かにあの日はひどく寒かった。



食事を終えると私はデッドホースのジェネラルストアに向かうことにした。
ここに「End of the Dalton Highway」の看板がある。
どうしてもここの前で写真を撮りたかった。


「カリブーイン」の前でシャロンが
「もう少し写真撮らせてもらえる?自転車も一緒に」と言ってカメラを構えた。

このときの写真を後にシャロンは2007年版の『Milepost』に載せてくれた。

シャロンが掲載してくれた『Milepost』の写真。小さな写真だったが感激した。


ジェネラルストアに移動する。町の反対側で思いのほか遠い。

記念撮影をしていると、車で乗り付けた男性が
「お前、自転車で来たのか?ワオ!アンカレッジから!すげぇな、この水全部やるよ」

と勝手に興奮しながら、ペットボトルの水を6,7本くれた。

なんなんだ。ありゃ。

ジェネラルストアで切手を買い、その後「カリブーイン」で手紙を書いた。
もっともこのとき書いた手紙が届くのは私が帰国してからだが。


その日は野宿するつもりだったが、デッドホースの町をうろうろしていると
空港の近くでグリズリーが鉄のゴミのコンテナを「ゴンッ。ゴンッ」と殴っていた。

散歩していたレオとほかの旅行客が数100メーター向こうから遠巻きに見ていた。
「あれはメスのヤンググリズリーさ」と地元民だろうか、誰かがそんなことを言った。

周囲に人がいるから落ち着いていられるが、あんなのにハイウェイ上で遭遇したら終わりだったなと、会わずに済んだ幸運に感謝した。

これではとてもじゃないが野宿はできないなと悩んでいると
「シマ、俺達の部屋に泊まればいいさ。」とレオが言ってくれた。

私は彼の言葉に甘え、カリブーインで休んだ。
久々の温かいシャワーにありつけた。

私がメガネをしたまま寝袋に潜り込むと、それを見たアリーは
「シマ、そりゃ何だ?日本人はメガネはずさないで寝るのか」とおかしそうに聞いてきた。

「いや、私も普段はもちろん寝る前にははずすよ。アラスカに来てテント張って寝るようになってから、メガネを外して寝て、もしグリズリーに襲われたらと思うと怖くてね」と答えておいた。


メガネはかけたままだったが、野生動物に襲われない安心感で思いのほかよく眠れた。




*****************


デッドホースに着いたとき、フェアバンクスのインフォメーションセンターで言われた
「北極海まで行けば人生観が変わる」という言葉の意味がいまいち分からなかった。



言葉の意味はあとからやってきた。
自分の行為が何であったのか。


ツンドラの只中で私は少年時代の自分の夢に自らの足で到達した。

自分の身の程を知った。
いつもどこか高い理想を目指し、勝手なイメージだけが先行して
壮大でぎこちなかった「旅」は等身大の私のものになった。

誰かのように旅をするのではなく、自分のする旅がようやく見えた。


弱くて情けない自分も少し誇れるようになった。

極北まで、道の終わりまで行ってよかった。
あの果てまで行かなければ、きっと分からなかった。


道の終わりは未来へ続く。

2013年8月15日木曜日

始まりの風景 2006年8月9日

朝、昨夜同様寒いであろうと思いながら意を決してテントの外へ出ると
昨日あれほど強かった風は止み、野営地を暖かい朝日が包んだ。

厳しかった寒さがうそのようだ。

寒いには寒いのだが、そこに厳しさはない。

やさしい極北の朝。


コーヒーを淹れ、『Milepost』の切れ端を眺める。
今日はどこまで行けるだろうか。

コールドフットでシャロンが「アティガンパスから北のツンドラ地帯は平坦で舗装してある区間もあるから自転車でも2日で行くんじゃないかしら」と言っていたのを思い出す。
おおよそ残り160マイル。

まあいい。行こう。

私は朝食を終えるとキャンプを撤収した。


自転車に荷物を積み、朝日を浴びる自分の自転車がいつになく格好よく見えた 。


出発。


ハイウェイは下り基調で時折アップダウン。
アティガンリバーを超える橋のところで川に顔を突っ込み顔を洗う。
雪解け水が流れてくるのだろう。冷たくて驚いたが、気持ちよかった。
水をボトルに詰めておく。


しばらく走るとハイウェイの脇に車が停まっていた。


気になって近寄ってみると車のところで男性がスコープで何か探しているようだ。

「何してるんだ?」私が聞くと
「今、ドールシープを見ているんだ。明日から猟が解禁でこれから山に入って彼らを追いかけるのさ。」男性はそういうとスコープをのぞかせてくれた。


「ん?どれだ?」何も見えない。
「ほら山の中腹に白い点があるだろ?あれがドールシープだ。」と教えてくれる。

もう一度スコープ覗くと、確かに見えた。
ただし、文字通り点にしか見えなかった。

あんな遠くのドールシープを解禁日前日から追うとはハンターも大変だ。


パイプラインのPump Station 4.
ハンターと別れ、ハイウェイを進む。
風がツンドラの上を走っていく。

ダルトンハイウェイと並走するパイプラインはやがて地中に潜る
しばしばハイウェイ上で見かけたメタリックグリーンの色の小型バスが追い抜いていく。
いつもはバスはそのまま行ってしまうのだが、今日は路肩に停車した。

バスからアジア人だろうか、乗客が降りてきてこちらにやってくる。

「自転車で走ってるの?」
「ひとりか?」
「日本人?」

すぐに10数人のアジア人に囲まれ、質問攻めにあう。

私がキョトンとしているとドライバーの白人女性が降りてきた。

「ハイ!あなたよくハイウェイで見かけてたんだけど、お客さんが停めてくれっていうもんだから。台湾のお客さんよ」

私がアジア人と気がついて、わざわざ停まってくれたらしい。
トライアスロンをやっているという教師の男性が興奮気味に
「きみはほんとにすごいよ!」と私の両手をつかんでブンブン振っていた。

みんなで記念撮影をするとバスは去って行った。
乗客たちは遠ざかるバスから手を振ってくれた。

少し面食らったが、喜んでもらえたみたいでなんだか嬉しかった。



日差しが強くなる。
ハイウェイ脇のパイプラインに目をやるとカリブーがパイプラインの日陰で休んでいた。


今日はカリブーをよく見る。気がついただけでも10頭以上はいたから実際はもっと多くのカリブーとすれ違っているのかもしれない。


穏やかな日だ。



**********************************



ダルトンハイウェイの終着点まで残り80マイル。
今日はハイウェイの傍にテントを張った。


ツンドラの広漠たる世界の只中に私はいた。


周囲に文明と言えるのは黒い土をむき出しにした背後のハイウェイだけだ。


雲ひとつない空。
極北の短い夏を生きるツンドラの植物の柔らかい若緑が目に眩しい。
見わたす限り、大地を覆い尽くすツンドラとその境からどこまでも続く青い空だけだった。

広がる壮大な風景に目を細め、
自分のテントに目を向けたとき不思議な感情に襲われた。





胸がじんわりと熱くなった。

ずっと忘れていた感情がふと甦ったのだ。
昔、私がまだ小学生か中学生だったときに一枚の写真を見たときのことを思い出したのだ。

緑の大地が広がる世界にテントが一つと旅人が一人、そんな写真だった。


「いつの日かこんなところに行って、テントを張ってキャンプがしてみたい」


単純な想いだった。
それから時は流れて、アラスカ北極圏で、今まさに自分がそれと同じ世界にいることに気がついた。


旅をしたい、遠くに行きたい。


私を真の意味でここまで駆り立ててきたものは野田知佑でも星野道夫でもなかった。
私の心の奥底にひそかに生きづいていた自然の中を旅をし、そこに身を委ねたいという、
その想いだったのだ。


今までずっと自分の中にあったのにどうして忘れていたんだろう。


高校生のころから、自分なりのやり方で旅をするようになり、
変化する周囲の環境や社会の中で自分の想いは、少しづつそうしたしたものと摩擦を起こし、知らない間に形を変えていった。

そして私を旅に駆り立てた最初の気持ちは気がついてみると「旅」という言葉以上に説明がつかないものになってしまっていた。

私に旅というものに誘った根源的な想いが自分の中に戻ってきたのを理解したとき、熱いものがこみあげてきた。


あぁ、私の中にはこんな無垢な想いが生きていたんだ。


様々な人が語る旅という言葉やこれまでの自分の生活によって磨耗してしまった想いはまだ確かに生きていたのだ。


この景色に来たかったんだ。


パチャパチャと水音を立ててツンドラの草原の中を二頭のカリブーが駆けていった。


2013年8月7日水曜日

己の身の程 Atigun Pass 2006年8月8日

ワイズマンの宿で朝食を食べながら、宿泊者ノートを眺めていると日本のTVクルーの書き込みがあった。

迎えた晴れた朝への喜びとこれから出会うだろう素晴らしい景色に期待を膨らませる内容だった。


今朝の天気は晴れ。私もまさに同じ気持ちだ。
今日はどこまで行けるだろうか。


今日の難所、ブルックス山脈を越えるアティガンパスを越えなくてはならないかもという不安よりも、昨日の雨がやんで、晴れの中を旅ができる期待のほうが強かった。



ワイズマンから再びダルトンハイウェイに戻る。
昨日の雨で道はやや泥になっていたが、ダルトンハイウェイ前半の荒れ具合に比べたらたいしたことはない。 


しばらく走っていると前方に大きな犬のような動物が見えた。

「コヨーテ?」

特に警戒する感じでもなく、その動物は近づいてきた。
動きはまさに人なつっこい野良犬のそれだったが、大きさが普通の犬より明らかに大きい。
のちに聞いた話でその動物はオオカミだったようだ。
オオカミはすぐに私に興味をなくしたらしくハイウェイの向こうの茂みに消えていった。


オオカミからの遭遇からほどなくして今度は人が走ってきた。
「Hi!」

お互い、面白いものを見つけたとばかりにしばらく話す。
彼は有名製薬会社を最近退職、思い立って旅に出たそうだ。
日本にも頻繁に来ていたらしく、私が愛知出身だと言うと、
「名古屋のヒルトンにはよくいったよ」と言っていた。
まだ、彼はデッドホースをスタートしてしばらくしかたっていないが、
これからフロリダまで!!歩くという。


いやはや。


さすがアラスカ。とんでもない人がいるもんだ。
「きみは私が初めて会うDalton Hwy Walkerだよ」と私が言うと
「Dalton Hwy Walkerか、そりゃいいな」と笑っていた。



Dalton Hwy Walkerと別れ、再び北へひた走る。


昨日とは打って変わっての快晴。
道は相変わらずきついが、雄大すぎる景色が周囲に広がる。

ハイウェイの周囲を囲むように雄々しい山々がそびえていた。

なんというスケールだろう。
自分が小さいというより、山々が大きすぎるのだと思った。




ダルトンハイウェイに突如あらわれたパブリックトイレで休憩。

駐車場で紅茶を淹れ、先日、コールドフットのジェネラルストアでもらったジャムを溶かして
飲んでいると、一台の車から降りてきた女性が話しかけてきた。

「あなた自転車で走っているの?勇気があるのね!」


私は「勇気?わかんないよ。ただ走ってるだけさ」そう答えた。

アティガンパスはまだ先、そしてこのパブリックトイレからいったん登りがきつくなるはずだった。


パブリックトイレの後の峠はけっこうな登りだった。
気持ちを奮い立たせてなんとか登った。

振り返ると眼下に谷を抜けるクリークが見えた。


宮崎アニメのような壮大な景色だった。
あれは決して虚構の世界ではないな、と思った。


もっとも北に生えるスプルース(トウヒ)。もう立ち枯れしていた。


その後、今日のキャンプを予定していた地点に着いたのは午後四時だった。

そこは最後のスプルース(トウヒ)のある森林限界から程近いところで、
北極圏を南北に分断するブルックス山脈から流れるいくつものクリークがあった。

クリークの水はオパールを溶かしたような淡い緑色で、
手を入れると驚くほど冷たかった。

このあたりにきて、より野生動物の気配が強くなってきた。
リスが頻繁に普通に目の前を横切っていく。







キャンプ予定地まで来たがまだ十分走れる。
私はもっと進むことにした。


道の周りに木がなくなっていく。
この先はツンドラ地帯だ。


さらに行くと看板が見えた。「Atigun Pass」とある。




ついにここまできた。
進むべきか、止まるべきか。



このブルックス山脈を越えるアティガンパスは
ダルトンハイウエイ最大の難所である。

アラスカのガイドブック『Milepost』によれば
ダルトンハイウェイ242マイル付近から「長く、急な(12%)登り坂がアティガンパスまで続く」とある。
そして言うまでもなく、道はダート。





今日のところはここで止めて、明日万全の体制でアティガンパスに望むべきか。

この日、三本目になるチョコレートバーをかじりながらしばし考えた。

体力はすでに一日分使っている。明日になれば万全で臨めるだろう。

しかし、問題は天候だ。
今は晴れているが、明日は分からない。
行けるうちに行けるところまで行こう。


私は腹を決めた。  行こう。


ずっと取っておいたエナジージェルをさらに飲み、気合を入れる。


今まで踏まずに来た一番小さいインナーローでひたすらのぼり始めた。
ときおり通り過ぎるトレーラーが砂埃を巻き上げ、視界を奪う。


ここまですでに一日分は走っていた。
限界ギリギリの体力でひたすらペダルを踏んだ。



いろんな想いが頭をよぎった。
どうしてこんな過酷な世界に来たんだろう。
過酷?いや、そんなはずはない。たかが標高1500メーターだ。
過酷に思うのは自分がそれだけ弱いんだ。

弱く情けない自分。
いつもいつもそれに目を背けてきた。

どうすれば強くなれるんだ。
少しでも気を緩めれば、足を止めてしまいそうだった。

足はつかない。立たない。アティガンパスの頂上まで。

何度も止まりそうだった。
それでも、その度に自分を奮い立たせた。

ここで止めたら、私はいつまでたっても困難から逃げる人間になってしまう。


どれほど上っただろう。峠が見えた。



周囲の山々は夏の最中にあっても雪を抱いていた。


口から荒く漏れる息はすぐに白くなった。
夏の北極圏の峠は十分に寒かった。

上りきった興奮でもう何がなんだか分からなかった。
とにかく、難所は乗り切った。


だが、難関はこれだけではなかった。
峠の向こうはさらに寒く、アティガンパスの下りでは一気に体温が奪われ、
あわてて三重にしたグローブの中の手の感覚がすぐに無くなっていった。
 

下りが終ったところでテントを張ることにした。
ハイウェイからそう遠くないところを野営地に選んだ。
強風の中、テントを設営する。

ウインドスクリーンを立ててバーナーストーブで夕食にパスタを茹でようととするが
風が強すぎでなかなかお湯が沸かない。


それでもなんとかパスタを茹でて、一気にかき込んだ。


食事を終えたころ、一台のトラックが通り過ぎて
こちらに気がついたのかクラクションを鳴らしてくれた。

私は軽く手を上げてこたえた。

トラックの運転手には私はどんなふうに見えただろうか。


テントに入る。


寒い。そしてとにかく体が辛い。

私にとっては極限の状況だった。

寒くて日本から持ち込んだ日本の冬用装備を全て着込んだ。
上から下までフリース。
マイナス15℃まで対応する寝袋にシルクのシンナーシーツを使ってやっと暖を得た。

これ以上厳しい状況ではやっていけない、そう思った。


だが、北極海まであと三日のところまで来ていた。
こんな辛いことはもう続けられない。

逃げたい。逃げたいけど逃げない。負けない。

この旅を成し遂げるとこが出来なければ前に進むことは出来ない、そう思った。
一生懸命ひたすら前に進むことだけを考えて前へ。
この旅の意味が少し見えてきたから。
ようやく理解できそうだから。

白夜の名残の残る北極圏の夜の太陽に照らされたテントの中で私は眠りに落ちた。