2013年12月29日日曜日

新たな旅 Tasmaniaへ 2008年12月11日~12日

アラスカの旅からおよそ2年半。


私は再び旅に出ることにした。
どこに行くべきか、いや、どこに行きたいか。

行き地場所はたくさんある。

北欧、カナダ、アラスカ、ニュージーランド、アイルランド、モロッコ、タスマニア、パタゴニア、キューバ・・・
あげれば切りがない。

どこなら行くことができるか。

行くのは12月から1月。北半球の冬の時期。
行くならまた自転車の旅がいい、いや自転車以外で海外をどう旅していいかわからない。
そう思うと雪に覆われる北欧、カナダ、アラスカは却下。

残った地域の中でアイルランド、モロッコ、タスマニアの3つに絞り、
各地域の『lonely planet』をアマゾンで購入した。

『lonely planet』はおそらく世界中のバックパッカーが使っているガイドブックで
『地球の歩き方』の数百倍役に立つ。
残念ながら『地球の歩き方』には街のキャンプ場の情報は載っていないし、小さな町の情報も書かれていないことも多い。


英語があまり得意ではないのでイントロダクションだけざっと読んで考えた。


モロッコは砂漠とあって大変そうだ。
街から街の距離、風、水の補給、トラブル時の対応など心配要素が多い。
困難があるほど燃える冒険者タイプの人もいるが、私は決してそうではない。


アイルランドは私の大好きなビール「キルケニー」とジャック・ヒギンズが愛するウィスキィ「ブッスミルズ」の国だ。

ぜひ行きたい。

しかし、気候のデータを見ると驚くほど雨が多い。

・・・雨か。

自転車旅での困難は峠よりも雨であると思う。




結局、私はどんな旅がしたいんだろう。

海外のツーリングも3度目。
自分の力量もよくわかっている。

自分らしく自由を振り回して旅ができるところ。





やはりタスマニアだ。





かつてニュージーランドをしばらくともに旅したスイス人サイクリスト、ダニエルが
 「シマ、ニュージーランドもいいが、タスマニアもベリーナイスだ。おれは7回も行ったぞ」っと言っていた。これがずっと気になっていた。

ダニエルは当時40代のベテランサイクリストで
毎年冬になると自営のぺインターの仕事を休業し、自転車の旅に出るというつわものだ(注:独身)。

昼間からビールを飲むサイクリスト ダニエル。ビールはソフトドリンクだそうだ。


彼はニュージーランド7回、タスマニア7回、キューバ、パタゴニア、オーストラリア本土、カナリア諸島などを旅をしており、彼のことを考えているうちに彼が薦める場所に行ってみたいと強く思うようになった。


「夏のタスマニアでタスマニアワインを飲みながら、オイスターを食おう。」


私は決めた。
オーストラリアの南に浮かぶタスマニア島へ行こう。
私が尊敬するサイクリストの一人が最高というその島へ。

南半球でクリスマスを過ごし、旅先から年賀状を書いてやろうじゃないか。
私は準備を始めた。我ながら準備は順調に進んだ。

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一番安いエアチケットだったキャセイパシフィックを取ったが、
いきなりチェックインで荷物の追加料金を取られた。
前回アラスカの出国時に痛い思いをしたので手荷物をかなり増やしたがダメだった。
24,000円取られる。
いきなり現地での一週間分ぐらいの滞在費が消えた。。。

当然の出費で飛行機に乗る前のビールは我慢したが、
飛行機に乗ったあとはいつも通り飲んだくれであった。

香港の空港でビールを飲みながら日記を書く


キャセイは安かったが、台北、香港でトランジットし、機内食は4食食べた。
2006年に行ったニュージーランドより飛行機で過ごす時間がしんどい。
とにかく早く着かないかなとそればかり考えていた。
日本から持ち込んだ隆慶一郎の『かぶいて候』はすぐに読んでしまった。
東野圭吾の『宿命』は読まずに我慢した。


日付が変わってシドニー着。シドニーは雨。
例のごとく入国で時間を取られる。
出国前に某メカニックの方から
「オーストラリアに行くならタイヤの泥とかは極力落とした方が入国時にトラブルにならない」と言われており、タイヤをきれいにしておいたおかげで特に指摘されなかった。
食糧も持ち込んだがうるさく言われなかった。



シドニーからはカンタスでタスマニアの州都ホバートへ。


飛行機から眼下にタスマニア島が見え、気分が高ぶってくる。


新しい旅が始まる。


『lonely planet』より。タスマニアはオーストラリア南に浮かぶ島


ホバートに到着。


予約してあるユースホステルに行くため、
シャトルバスのドライバーに行き先を伝える。


しかし、私の荷物が出てこない。
待っているとアナウンスがかかり、呼び出される。

自転車を入れた段ボール箱が壊れたらしい。

シドニーでちらっと私の箱らしい荷物が雨の中、
フォークリフトで運び出されているのが見えた気がしたのだが、
どうもその結果段ボールが壊れたようだ(真相は不明)。

どうしてくれるんだと聞くと、今カンタスの段ボールに入れ替えているから
待ってくれと言われる。




さらにしばらく待つとカンタスの箱に入った自転車が出てきた。
カンタスはバイクボックスも持っているのかと妙なところで感心した。

しかし、カートがなくて運べずに困っていると
なかなか来ない私を待っていてくれたシャトルバスの運転手のおじさんが
手伝ってくれた。


タスマニア州都ホバートはタスマニアの南部に位置する

バスの車窓から見えるタスマニアの景色はニュージーランドのようで
なんだか懐かしく、うれしかった。
ニュージーランドを旅していた頃、よく「タスマニアはニュージーランドみたいだよ」という話を聞いたのを思い出した。

しかし、それは自転車以外の方法で旅をする人の認識であることを思い知ることになる。




バスが予約した宿に着いたが、私が気がつかないでいると
「おまえここだろ?」と男性の乗客が教えてくれた。

彼はバスを降りて、自転車の段ボールを運ぶのを手伝ってくれた。

まったく、人の助けがないとなにもできない。



宿はバーを併設しているユースホステルだ。


タスマニアというかオーストラリアがそうなんだろうが
昔の名残でパブが宿をやっているケースが多い。

これはかつて遅くまで酒を出す店は宿泊出来ないといけないと法律で決まっていたこと何かで読んだのを思い出した。

部屋に荷物を運び込む。
なんだかやたらと複雑な作りの宿である。

二階の一番奥の8人部屋だった。
この手の宿はドミトリーと呼ばれ、安いが相部屋でベッド一つが割り当てられる。
日本では男女別だが、タスマニアでは男女関係なく同じ部屋だ。
食事は共同で使えるキッチンで食材を持ち込んで勝手に作ることができる。

私はベッドに荷物を置いて食料のバッグを持ってキッチンに向かった。
私のベッド

サーフボードを持ち込んでいたのは日本人だった



階下のキッチンに通じるドアを開けると
なんともいえないスパイスの混ざったような香りが漂ってきた。



「あっ、キッチンのにおいだ」



ニュージーランドをともにしばらく旅をした友人のルティア(彼女もスイス人だ)がユースホステルに泊まったことがないという人にユースのキッチンの様子を話していたのを思い出す。


「ああいう宿はキッチンがあって、いろんな国からきた人たちが同じキッチンでいろんな料理を作るのよ。
とってもスパイシーな香りがすると思ったら、甘い香りが別のなべから漂ってきたりして。
それでよく同じテーブルになった他の人と情報交換したり、お互いのことを話したりするの。
おもしろいからあなたも一度泊まってみればいいわ。」



何のにおいかははっきりしない、「ユースのキッチンのにおい」。
甘いような気もするし、ガーリックの香ばしい香りもする。
それ以外に何か分からないにおいも混じっている。

空港で否応なしに英語の会話を始めた時から
外国にきた、という感じはした。

しかし、キッチンのにおいをかいだとき、
「あぁ、おれまた旅に来たんだ」という実感が初めて湧いた。

キッチンに入ってそこにいる人に「Hi」と軽く挨拶して、
キッチンの設備、皿やグラス、鍋やカトラリーを確認したり、
旅人が不要になった食料を置いていく「FREE FOOD」のラックを確認したり。

なんだかそのすべてが懐かしかった。

そしてその懐かしさが再び一定の日常になるのにさして時間はかからなかったと思う。



シドニーからホバートの便が予定より遅れたため、宿には夕方到着した。
予定ではもう少し早く着く予定だったので、
その日の食事ぐらいは買いに出るつもりだったが、億劫になってやめてしまった。
食事はフロントで売っていたインスタントラーメンになった。


キッチンには日本人女性がいた。話しかけるか迷ったが、
他の日本人女性とワーホリトークを日本語で始めたので、話しかけるのをやめた。
初日からこれは鬱陶しかった。


部屋に戻ると部屋にはひとりだけ客がいた。
隣のベッドの韓国人女性だ。

名前をSunnyといい、27歳。韓国でLGに勤めていたが、
今は自分の時間を過ごしているらしい。Sunnyによれば彼女のような韓国人が増えているらしい。なんでもオーストラリアはビザが取りやすいそうだ。

 「働いていた時は休みなんてなくて、今は自分の時間を過ごしているの」

そう言って笑った。
それからお互いのこと、日本人と韓国人について、彼女のタスマニアでの出来事、英語についてなど旅行者同士のお約束的な話をした。
 
彼女は明日の早朝、帰国するらしい。
私がタスマニアのオススメを聞くと
「フレシネ国立公園のMt.アモスから見るワイングラスベイが素敵よ」と教えてくれた。
私は最初の目的地をワイングラスベイに決めた。

モンゴメリーYHAで同室になったSunny


彼女の話で印象的だったのは"favor"についてだった。


「あなたも他の人に"favor"をしなきゃいけないわ。こうやって旅人同士の助け合いの輪が広がっていくのはとてもいいことだと思うの。」

英語がロクに話せない私は"favor"の意味がそのときはわからなかったが、
「援助、親切」という意味だというのを辞書を引いてわかった。



彼女は自分にはもう必要ないからとホバートの地図をくれた。



今回の旅が多くの"favor"のおかげで素晴らしいことになることをこのときまだ私は知らない。




明日は雨らしいが、ホバートの街を回って食料や地図を買って旅の支度を整えよう。
明日はいい日になりますように。


2013年12月5日木曜日

帰国  2006年8月19日~20日

スワードからアンカレッジに戻り、いよいよ帰国となった。

街が動き出す時間を考えながらキッチンで朝食を作る。

日本から持ち込んだタラコスパのソースが残っていたので
朝からタラコスパを作って食べた。

前回ニュージーランドを旅したときに無性にタラコスパが食べたくなって
テントの中で悶絶したことがあったので、
今回はたくさん持ち込んだが結局残ってしまい今日食べることになった。

米も残っていたので炊いて昼ごはん用におにぎりを4つ作った。



おにぎりをバッグに入れて外に出る。
なんと外は晴れていた。久しぶりの晴れでテンションがあがる。

アンカレッジの街

自転車で市街へ。
土産物屋をいくつか回り、家族や友人に土産を買った。
「カンアラスカン」という日本人の経営する土産屋でオーナーの女性と話す。

「今年は何十年降りの異常気象で大雨が降ってねぇ。アラスカに来て長いけどこんなの初めてよ。ウィローのあたりじゃ橋が流されたそうよ。」

ウィローはアンカレッジ近くの街で私が最初に泊った街だ。
信じられない。


その頃、フェアバンクスで会った日本のある旅人が窮地に陥っていたのを知る由もなかった。(参考ブログ:http://yukon780.blog.fc2.com/blog-entry-138.html


カンアラスカンの後、ネイティヴアメリカンの店で買い物をするとレジの女性が
「どこの出身?」と聞くので「日本だよ」と言うと「私たちに似ているからネイティヴかと思ったわ」と言われた。

一時ネイティヴアメリカンの思想に傾倒していた時期があったのでなんだか嬉しかった。
ただ、日焼けしてそう見えたただけかもしれないが。。

気になって撮った写真

最後にR.E.I.に行く。
帰国に際し、自転車梱包用の段ボールを手に入れるためだ。
R.E.Iは大型のアウトドアショップでキャンプ用品はもちろん、カヌー、自転車、浄水器まで何でもある。
ここで発売間もなかったPolarの保冷ドリンクボトルと安かったボトルゲージ、それから日本未発売のパワーバーを大量に買った。
レジの女性に「パワーバーたくさん買うのね。」と笑われた。

「日本じゃ2種類しか売ってないんだ。珍しくてね。」と言っておいた。

それから自転車の箱を欲しいと言うと、自転車担当者だろうか若い男性がGiantの箱を持ってきてくれた。しかし厚みがなくて心配なったので「申し訳ないが、荷物多いんだ。もっと大きいのくれ」というとR.E.I.オリジナルの厚さのある箱を出してくれた。

前回ニュージーランドで箱代をとられたのでいくらか聞くと
「ハハ、要らないよ」と言ってくれた。

R.E.I.にいた賢い犬。入国直後の写真

昼食に用意したおにぎり4つは早々に食べてしまった。
宿に戻ってパスタを茹でて、夜またパスタを食べた。4食目は多いかと思ったがぺろりと食べてしまった。しかもパスタは全部タラコである。

残った食糧は宿のフリーラックに置いていけばいいが、タラコソースなど置いていっても困るだろうと思い、頑張ってしまった。妙なところで気を遣ってしまうものだ。

自転車で旅をしていたせいで体が異常に食べ物を求めてしまう。太らないか心配だ。



************


いよいよ帰国の日。
早朝起きて、朝食を作って食べる。
時間があったのでリビングでぼんやりテレビを見ていると
一人の男性が話しかけてきた。

アラスカの住人でこれからフィリピンでバカンスに行くという。
私と同じく今日のフライトだそうだ。彼は楽しそうにいろいろ話してくれた。
このスピナードホステルは空港から近いので地元の人も利用するらしい。


R.E.I.でもらった大きな段ボールを折りたたんで小脇に抱えたまま自転車で空港へ向かった。
空港の玄関横で自転車を分解し、段ボールに詰めていく。

自転車と段ボールの隙間には寝袋などをつかってクッション代わりにするのを忘れない。
普通よりも大きい箱を貰ったおかげで作業はすんなり終わった。



自転車の入った大きな段ボールを持ってKorean Airのチェックインカウンターへ。
スムーズにいくかと思ったチェックインだが、荷物が重いから追加料金を払ってほしいとKorean Airの若い女性に言われる。

「No,行きも自転車を持ってきたけど追加料金は払ってないよ」私は珍しくきっぱり英語で言った。

すると女性は奥に消えていき、代わりにゴツイ見るからにベテランのマダムが出てきた。
いやな予感がする。。


現れたマダムはすごい勢いで端末をたたいたかと思うと、グイッと顔をあげて私に言った。


「あなたの行きの荷物は26キロ。で、今は36キロ。行きより10キロ重いわよ。300ドル追加料金いただきます」

ぐうの音も出ないとはこのことである。私は即座に訊いた。
"Can you accept credit cards?"

"Yes,sure"マダムは私の差し出したクレジットカードを無表情で受け取った。完敗であった。


10キロ増。。土産はそんなに買った覚えはないが自転車を梱包した箱が大きいのをいいことに調子に乗って荷物のほぼ全部詰め込んでいたのだ。
はぁ。土産だって300ドルも買ってないぞ。


私は落胆したまま出国手続きを済ませ、免税店を見ていると日本人に話しかけられた。
どうやらチェックインカウンターで私の後ろに並んでおり、あのやりとりを見ていたらしい。

「結局いくら取られたの?300ドル!うわー、ついてないねー。行き先一緒だったら、私の荷物分シェアしたのに」

その手は考えなかったな。全く迂闊であった。
この痛い教訓はのちに生かされることになる。

この日本人の方は福岡に帰るとのことだったが、そのほかにも大阪に帰ると言う人もいた。
私が乗ったKorean Airはインチョン空港まで飛んで、日本人はその後日本各地に飛ぶようだ。なるほどハブ空港だ。



飛行機に乗り込む。不思議な気分だ。
旅が終わる。アラスカの旅はガムシャラだった。興奮のうちに終わったと言っていい。

やがて飛行機が飛び去った。
眼下についこの間までいたキーナイ半島が見える。

感慨が深すぎて自分の中で処理しきれていない。
ただ、またこの大地を旅したい、そう思った。



************

アラスカの後、以前から自分の夢だったCafeをやっている外食企業に就職したが、しばしば15時間を越える勤務に体重をかなり減らしてしまい、1年で辞めてしまった。

その後、多少回り道をしたが、なんとか再々就職をすることができた。



 アラスカの旅が自分にとって何であったのか。


いまだによくわからない。
その直後はその経験が強烈過ぎて自分でもうまく消化できずにいた。


ただ、あれからずいぶん経って、自分の家族を持つことができるようになった。
経験の割に平凡だと思うが、あの経験の上に今の生活があると思うとそれで十分に思える。


目をつぶると、今でもすぐに思い出す。
360度自分の回りを取り囲むツンドラの中にいるところを。
カリブーが蹄で水をピシャピシャ音を立てて走っていくのを。


いつかまた、あの世界を旅しよう。
世界の大きさを体感し、自分が解き放ち、野生動物の気配におびえ、自然と対等になり、ただ自分が生きていることに感謝するアラスカの大地を。


あの景色を生涯忘れることはないだろう。