2013年6月28日金曜日

Arctic Circle 2006年8月5日






長い一日だった。




今日もまたゆっくり起きた。
昨日は真夜中に目が覚めて、少し眠れなかったからだ。



朝食に日本から持ち込んだひやむぎを食べる。随分塩辛い。


しまったことに昨日水場のところにオークリーのサングラス 置き忘れてしまったのを思い出した。
一応慌てて水場に戻ってみるが、やはりない。
まあ私でなくてもオークリーのサングラスが落ちていたら拾って持って行くだろう。




念のため、近くにいた男にサングラスを見なかったか聞く。

「いや、知らないな」
男は古いフォードにカナディアンカヌーを積み、立派な黒い犬を連れていた。
犬はなかなか愛想のいいやつだった。
テンガロンハットとサングラス(当然私のではない)が様になる男だ。


A real Alaskan



彼はパンニングで生計を立てているらしい。

パンニングとは川の泥水を皿ですくって、泥を洗い流し、砂金を集めるというもの。
アラスカではこうした金の採取がまだ行われており、実際に金を換金できる場所がある。

水の中に小さな金の破片が封入された小指の先ほどの透明なカプセルをいくつも持っていた。

一つで10ドルだという。金は高いんだな。


彼こそ本物のアラスカンの一人だろう。


キャンプ場を後にする。

ダルトンハイウェイは相変わらずアップダウンだ。
もう諦めた。そういえば、ニュージーランドもわりとこんな感じだったな。
このあたりの『Milepost』の記載は他のページと比べものにならないくらい
赤の斜文体の文字が並ぶ。

たとえばこんな感じだ。

"Highway descends steep 0.5mile ascent of Sand Hill northbound"


そしてやたらとsteepという言葉が並ぶ。
実際走ってみるとそうでもないところもあるが
期待を裏切らない急坂が続く。

今日もまた上りの途中で大量の蚊に襲われる。
さすがにイライラが募る。

ユーコン川の上でもこんな感じなんだろうか。
帰国したら『ユーコン漂流』を読もう。


ダートが続くが道は再び工事区間に入り、工事車両が道に水を撒いていた。
道路を引き締めるためなのだろうか。
しかし、おかげで泥は飛ぶし、走りにくくてかなわなかった。


やがて激しいアップダウンのある"Roller Coaster"と呼ばれる場所へ。
上りもキツイが下りも怖い。怖くても下りはスピードはガンガン出るので一気に下った。





雨が降り始めた。

未舗装の道は泥で滑りやすくなった。

当たり前だが、雨をしのげるような場所はなく、休憩を取るのもままならなかった。
時折立ち止まってはレインウェアのポケットからミューズリーバーを取り出して食べた。

もうすでに体力の限界に思えたが、ペダルを踏み続けた。
止まれるような状況ではなかった。

野火事のあとだろう。Fireweedが一面を覆う


長い登りの後、道は舗装路になった。

ハイウェイはしばらく舗装路になる。右にはパイプラインが見える。


ここからコールドフットまでは舗装路になるらしい。
舗装路になって走りやすくはなったが、疲れのせいで登りが一向に進まない。


そんな中、突然、目の前に一台の車が止まった。
 人が降りてくる。日本人だ。

ヒゲの似合うその人は名前を河内牧栄さんといった。
 岐阜出身でフェアバンクスに住んでいるそうだ。

私はその時知らなかったが、
日本人のネーチャーガイド・写真家として有名な方で
最近まで中日新聞で毎週月曜日『アラスカに暮らす』の連載を書いていた。

牧栄さんは小さな男の子と奥さんを連れていた。


牧栄さんは私を見て、珍しいものでも見つけたかのように
たくさん写真を取っていた。

しばらく話をする。
いろいろアドヴァイスをくれた。

私が今日目指しているArctic Circleのキャンプ場は例のオオカミ騒動の為、閉鎖されている。
だから手前のKanuti Riverで泊まるといい、日本人サイクリストはしばしば泊まっているよと教えてくれた。川の水も煮沸すれば問題ないそうだ。

一通り説明してくれると、最後に「大丈夫だ、ガハハ」と豪快に笑っていた。いい人だ。



河内一家に別れを告げ、さらに進む。

少し行くと、不思議な場所に着いた。
Finger rocks Mountainという場所らしい。

それまでハイウェイの周囲は森におおわれていたが、急に岩場が現れた。
そして果てしなく広く見えた。


後に出会うカヌーでアラスカを旅していた渡邉さんが、
この場所を「別の惑星みたいだった」と言っていたが、
その表現が一番しっくりくると思う。
アラスカ、特にダルトンハイウェイには印象的な場所が多くあるが、ここもその一つだ。

遠くに何かが動いているのが見えた。


カリブーだ。


初めて見た。
木の生えない草が覆うその大地の真ん中で悠々と草を食んでいた。
それが日常なのだろう。

美しかった。

またひとつ、アラスカを見ることが出来た。




ここには駐車スペースと立派なアウトハウスがあった。
昨日のHot Spotのキャンプ場のアウトハウスは落書きだらけだったが
ここのはとてもきれいだった。

駐車場の片隅で少し遅い昼食にする。
「Go North」の同室の男に貰ったシチューのようなものを作るが
水の量を間違えたのか、味が濃くうまくなかった。
それでも貴重な食料なのでかきこんだ。


Finger Rocks Mountainのあたりでは雨がやんでいたが再び雨が降り出す。
時折強くなる雨が、激しく顔を打つ。
目の前の登りの向こうが明るく見える。
「明るく陽が差すほうへ」 。私はがむしゃらにペダルを踏んだ。

牧栄さんが言っていたKanuti Riverに着いた。
なるほど、橋の横は広い空き地になっている。

川の水は飲むのが躊躇われるほど茶色だ。

体力的にはもうかなり辛いが、時間はまだ早い。
この感じならぺースが遅くてもAirctic Circleまで行けそうだ。


私がどうしようか考えているとバイクに乗った二人組がやってきて、すぐに出て行った。

「行くか。」

私はペットボトルに入れておいたメープルシロップをラッパ飲み、再び走り出した。
濃いメープルシロップがとても美味しく感じられたのはそれだけ疲れていたのだと思う。


再び走り出したものの、登りのペースはやはり上がらない。
やがてFish Creekという川に着く。
狭いが川のそばで何とかテントが張れそうだ。


近くで車を止めていたじいさんがいたので話してみると
車のタイヤがパンクしたらしい。

道のコンディションが良くないダルトンハイウェイではパンクはよくあることらしく、
レンタカー会社によってはダルトンハイウェイに行く場合、車を貸してくれないケースもあると言う。

雨のじいさんをほっておくのは気がひけたのでタイヤ交換を手伝った。
初めて車のタイヤ交換をしたが、難しくはなかった。いい勉強になった。
日本に戻ったら、自分の車もどうやるか確認しよう。
自分の車にレインポンチョを積んでおくようになったのはこれがきっかけだ。


じいさんはポーランドから出稼ぎに来ているらしい。
後部座席にむき出しのライフルが無造作に置いてあり、流石だなと思った。


お礼に真っ赤なゲータレードを貰った。
コーラが終わったところだったのでうれしかった。
じいさん、有難う。



あとわずかでArctic CircleなのでFish Creekを離れ、急な坂を登る。


来た。


北緯66度33分 西経150度48分。
ダルトンハイウェイと白夜の世界が交わるArctic Circle。

アークティックサークル。ここから北が北極圏。

ここから北は北極圏だ。 ついに北極圏まで来た。
一日長かったので感動もひとしおだ。
「Far north」そう口に出してみると、本当に北の果てへ向かっているという実感がわいた。


ここにはキャンプ場があったが、牧栄さんの言っていたとおり、やはり「Closed」だった。
例のオオカミのせいだ。

キャンプ場の張り紙によれば、ここでランニングしていたキャンプ客がオオカミに襲われ、
ヘリコプターで搬送されたらしい。

そのため、ソフトシェルのテントでのキャンプは禁止とのことだった。


一瞬迷ってFish Creekへ戻りかけたが、
オオカミがその気になれば、その程度の距離は問題ではないだろう。

お腹がすいてきたのでとりあえずArctic Circleへ戻り、食事を作って食べた。

どうしようか。
この際、扉のしっかりしたアウトハウスで一夜を過ごすか。
見たところ、蚊の量も大したことないので蚊取り線香を焚けば何とかなるだろう。

そんなことを考えていると、キャンプ場の敷地に一台のキャンピングカーがいたことを思い出す。
あのサイズなら運転席で寝れるんじゃないか?

キャンプルームに泊めてくれというのはおこがましいので
運転席ならあるいは、、


私は意を決してキャンピングカーのドアをたたいた。
ゴツイおっさんが出てきたらどうしようと思ったが、中から出てきたのは
感じのいい年配の女性だった。

事情を話し、運転席を一晩貸してくれ、
状況が状況じゃなければおかしなお願いを笑って快諾してくれた。

「散らかってるから、片づけるわね。ちょっと待っていて」
そう言って運転席を空けてくれた。


もう涙がでそうだった。


彼女は名をシャロンといい、なんと私が使っているガイドブック『Milepost』のライターだという。
2013年の今でも『Milepost』のfacebookページの写真にはときおり彼女のクレジットが入る。
それを見るたびにとてもうれしくなる。


シャロン・ナルト。『Milepost』ライターでダルトンHwyやデナリHwyを担当

もし、テントを張っても何も起こらなかったかもしれない。
いや、最悪の事態が起こっていたかもしれない。

それは分からない。

そこで「最悪の事態」が起こっていたら、それは私には「自己責任」でしかない。

しかし、ここで私がそんなことになったら、
私より後から来る日本人はなんて言われるんだろう、と極めて日本人的なことを考えた。
とにかく無謀で無責任なことをしなくて済んだ。

ありがとうシャロン。


シャロンの車の運転席から。




2013年6月15日土曜日

ユーコン川を越えて 2006年8月4日

熊に襲われることなく無事に起きることができた。
命の心配をしていた割には間抜けな話だが、
テントが明るくなってようやく目が覚めた。
かなり眠れた。

頭が冴えてくるにつれ、今こうして生きていることに感謝をした。
何事もなく朝を迎えることが出来たのだ。

この当り前の「朝を迎える」ということへの感謝。
自然の中で生きるということは、毎日がこうした生への感謝なのであろう。



テント内で一通り片付けをする。
昨日やはり、かなり消耗したようだ。朝から空腹だ。
バナナにトーストスライスのパンを巻いて食べる。結構うまい。
二つ目もペロリと食べた。

飲み水が心配になってきたが、水はまだ2リットルほど残っており、
ペットボトルに移してみる結構大丈夫そうだった。

蚊の襲撃をかわしてキャンプを撤収。
いつになくクマの気配が強いので少しでも早くここから離れたかった。


 
道は今日も荒れている。そしてアップダウンだ。
ただ幾分か道が締まってきた気がする。

とはいえ、荒れたダートの登りでスピードが上がらない上、風もなく、大量の汗が噴き出してくる。
そんなところへ容赦なく蚊の集団が襲ってくる。

あんな不快な上りは後にも先にもない。

上り終わってそのまま下って、また上る。
振り返ればこんな感じだ。





そんなことを繰り返し、いい加減うんざりだが、
『Milepost』によれば今日の難所はそろそろだ。

しかし、前方を見ると派手に道路工事をしている。

Stopの看板を持った女性がいて何か言っているがわからない。

聞き返す。
すると工事でこの先進めないので、一般の車は工事車両が先導して行くが
自転車は工事区間の終わりまで車で乗せていってくれるという。


ここで本物の冒険家は「いや、私はなんとしても自力で北の果てまで行くんだ!」
とか言うのだろうが、私はただの旅する自転車乗りで、いわゆるヘタレ野郎だ。


正直、「助かった。」と思った。


かなり待たされたが、ピックアップトラックがやってきて
私の自転車はそのままドンと積まれた。

搬送される自転車。後ろに続くのは一般の車両。

この日の山場と思っていたところはあっさり終わった。

搬送される車の中からダルトンハイウェイを見る。
道は谷の底まで一気に下りて、再び登っていく。
ハイウェイというより採石場か何かに近い。

ドライバーの女性と話す。
彼女は日本語を習っているそうで「コンニチワー」とか言ってにこにこしていた。
ユーコン川まで出れば、Cafeがあるのでおいしいアメリカンフードにありつけると教えてくれた。





そう、次のポイントはユーコン川とダルトンハイウェイが交差する場所。


中学生ぐらいから読みだした野田知佑の世界と
今、自分が進んでいるハイウェイがまさに交差するのだ。


期待が高まる。


しかし、体は正直で下り基調のアップダウンが続いて
なんだかとても疲れてしまった。



やがてユーコン川が見えた。

 
 
ユーコン川にかかる橋
 



とてつもなく広い川にグレーの水がゆっくり流れていた。まさに大河と呼ぶにふさわしい。
野田知佑が河口に近づくにつれ、水は濁ってくると書いていたがその通りだった。

こんな川を何カ月もかけて下る野田知佑はやはりすごい人だ。
昨日のキャンプの苦労やら恐怖やらの後で、
そんなことをものともしない野田知佑を心からすごい人だと改めて思ったものだ



ユーコン川へ来た感動を打ち消してしまうぐらい嫌なものを見た。
狼についての警告のビラだ。
7月7日にArctic Circleのキャンプ場で狼がキャンパー襲ったらしい。

おいおい。

熊の心配はしていたがまさか狼とは。
さすがアラスカと言ったとこだが、冗談ではない。
ベアバスターは熊にも効くのだろうか。
そもそもその狼たちは今どこにいるのだろうか。
ハイウェイ上にはいないのだろうか。

狼を見てみたい気はするが、襲われるのは御免だ。

昨日といい今日といい、自然のなかの動物の序列いうものを改めて考えさせられる。


ユーコン川を渡った対岸ににあるユーコンリバーキャンプというところでコーヒーを飲み休憩。
アジア系の顔立ちの店員の女性がとても綺麗だが、英語が早すぎて全く聞き取れない。

『Milepost』を眺めながら今日泊まる予定のキャンプサイトの情報を見る。
キャンプグランドの横にある「Hot Sot Cafe」のバーガーアラスカナンバーワンとある。
今日はそこで夕食だ。


ユーコン川を離れてしばらくすると、向こうからゆっくりやって来た車が止まった。

フェアバンクス「Go North」で一緒だったリチャードだった。


彼もアラスカにやってくる男だけあって筋金入りだ。
彼はときおり皿洗いなどのバイトをしながら車でカナダを横断し、アラスカまでやってきたそうだ。
そしてこれからパナマへ行くという。いやはや。

オランダ人リチャード。カナダを車で横断し、アラスカからパナマまで行くという


リチャードはフェアバンクスで別れたあと、車で北極海まで行き、泳いでそうだ。
「水温4℃だったけどね。」と笑った。

それからメレウィンとジョッシュからだと言って、チョコレートを二つくれた。
それぞれから一個ずつ、ということだろう。
リチャードとしばらく話し、メールアドレスを交換した。
パナマに着いたら教えてもらいたいものだ。いい男に出会えた。うれしいものだ。




リチャードと別れてすぐ、Five Mile Campgrandに到着。
ここでこの旅初のサイクリストに出会う。


彼はテイラー。サウスダコタ出身でプルドーベイから南下してきているという。
北の状況が気になるのでいろいろ質問をする。

私が「ユーコンからダルトンハイウェイの終わりまではアップダウンでうんざりするぞ」というと
テイラーは「プルドーベイからブルックス山脈まではフラットだ」と教えてくれた。


最近、水が不足するようになり水の心配し始めた後だったので、
水をどうしているか聞くと彼は浄水器を持っていた。
浄水器を買うべきだったかなと少し後悔した。
幸い、このキャンプ場はそのまま飲むことが出来る水があり、しばらくは大丈夫そうだ。


テイラーの自転車はツーリング車だ。
タイヤは私と同じくシュワルベのマラソンだった。
ニュージーランドでも出会ったサイクリストの多くがそのタイヤを履いていた。

私の感覚では海外のサイクリスト50%以上はマラソンを履いているのではないだろうか。
それぐらいの装着率の高いタイヤだ。
そしてまたテイラーも「おれは一度しかパンクしていない。いいタイヤだ。高いけどな。」と話していた。

他にも自転車の話が通じたので、ツールドフランスのことをきいてみた。
「多分優勝はフロイド・ランディスじゃないかな。わかんないよ。」と答えてくれた。
ランディスか。妥当なところだな。


ツールの話をしたところで私は思い出してあるサイクルキャップを取りだした。
アラスカに来る前、当時ブリジストンアンカーのメカニックだったバスマンさんからもらった
カザフスタンの英雄、ヴィノクロフのキャップだ。
テイラーはそれを見てとても驚いていた。
おかげで写真を撮られる。


彼は今日ここに泊まるわけではなく、テント張って少し休んでいただけらしい。
今日はユーコン川まで出るそうだ。

テイラーは去っていった。もっとたくさんのサイクリストに会えるといい。



キャンプ場でテント張り、寝袋をテントの中に広げ、晩御飯を食べに行くことにする。

Hot Spot Cafeの入り口

キャンプ場の横にあるカフェ、Hot Spot Cafeが
アラスカナンバーワンサイズのバーガーを出すという。
ビールないかな。


残念、ビールはなかった。
そのかわりこれでもか、というぐらいの量のコーヒーが出てできた。


あまり待ってることもなく、噂のビックバーガーが出てくる。
噂ほどのサイズでもなかったが、味は悪くなかった。
しかし今の私には足りなかった。


後でウイスキーと先日、エリオットハイウェイでキャンプしてるときにもらった
ライスチップスで一杯やるとしよう。
バーガーの写真を一生懸命とっていると、
隣のテーブルで見ていたオッサンがおれが撮ってやるといたのでお願いする。


カフェは土産物も置いてあり、季節外れのクリスマス用の熊のオーナメント買った。
これは2012年の我が家の小さなクリスマスツリー飾り付けられていた。

キャンプ場に戻る。




キャンプ場には比較的多くの人が宿泊しているようだった。どの車もハイウェイのRoaddustを巻き上げて白くなっていた。

夕方になって少しキャンプ場がにぎやかになる。
どうやら道路工事の労働者で泊まっている人もいるようだ。

昨日が1人でキャンプをしていたのでこうやって人の中でテントが張れるのがとても有難い。
今日は安心して眠ることができそうだ。



そう思うとウイスキーも進む。
日記を書き、読書すると眠くなってきたので、テントに入って眠ることにした。
明日はどこまでいけるだろうか。




いい感じにウィスキーが回ったのか
眠るころにはユーコン川で見た狼の警告を私は完全に忘れていた。






2013年6月13日木曜日

ダルトンハイウェイの洗礼 2006年8月3日









昨日、寝ていると少年の声で起こされた。
私がテントを張っていた場所はまさにトレイルの出口で
トレイルから四輪バギーでやってきた少年とその家族を邪魔してしまったようだ。

テントを動かし、いっしょにいた父親と話す。

クマについてきくと
このあたりはブラックベアしかいないのでそんなに心配することはないとのこと。

会ったことはないが、ブラックベアなら大丈夫という感覚がよくわからない。
とにかくそれよりブラウンベア、つまりグリズリーはより危険ということだろう。


白夜の終わりで夜9時を回っても明るいが、
一日走って眠くて仕方がない私は
「子供はこんな時間まで遊んでいるのか」ときくと
父親は「明るくて子供が遊びたがって寝ないんだ」と教えてくれた。
そりゃ、子供からしてみたらトレイルでバギー乗りまわせるなら
寝る時間なんて関係ないよな。
冬が長くて大変な分、アラスカでは夏の時間は貴重なものなんだろう。

一家は車で去って行った。


朝。


テントを張ったトレイルの入り口が ちょうど山の上だったらしく、
道はしばらく下りが続いた。
朝はなかなか冷えるので服を厚めにした。



10マイル少々走ったところにあったTartalina Riverでビーバーが泳いでいるのを発見。
感激してしばらく見ていると対岸でキャンプしていた人に「こんにちは!」と声をかけられた。
よく見れば日本人男性であった。

奥さんらしい女性も交えてしばらく川を挟んで話していたが、
 ブルーベリーをくれると言うので橋を渡って対岸へ移動する。



「まあまあ、座って」と椅子をすすめられ、コーヒーとお菓子をごちそうになる。

一家はKさんといい、富良野在住。
雰囲気が何と言うか、そんな感じだ。

今は育児休暇中でカナダとアラスカを一家で旅しているらしい。
小さい子を二人連れていても大らかなものだ。
会う日本人はこういう人ばかりでなんだかとてもうれしくなる。


聞けば、数日前にカリブーの季節移動に遭遇したらしい。


「ほんとうにすごい数だったよ。」と旦那さんが興奮気味に語った。
私も見てみたいな。カリブーの大移動。

星野道夫の世界が確かにここにはある。


Kさんは昨日獲ったというブルーベリーをくれた。
そういえば昨日、ハイウェイ上のひらけたところでKさん一家の車を見た気がするが、
あそこでブルーベリーを狩っていたんだな。

「それにしてもすごいよねー。自転車でアラスカなんて」
旦那さんはひどく感心した様子で言ってくれたが、
みんなあまりやろうとしないだけで、やればそんなに難しくないことだから
なんて答えていいかわからなかった。



Kさん一家と分かれ、エリオットハイウェイを数マイル進むとArctic Circle Trading Postに到着。
随分雰囲気のある建物だ。

 
土産物のほか、ちょっとした食料もあり、飲み物を中心に補給する。
店のポストカードをもらう。
店の女性に「トイレはあるか」と訊くと
「外にナイスなアウトハウスがあるわよ。」と笑って言った。
アウトハウスを探すと、あった。なるほどこれはアウトハウスにしては立派だ。
アウトハウスというのはアラスカ式のトイレで、要は縦穴を掘って上物をかぶせただけのもの。
ここのはよかった。
感動して写真撮ってしまった。


                



その後も相変わらずエリオットハイウェイはアップダウンが続く。
疲れるが景色が抜群にいい。



もう少しでエリオットハイウェイとダルトンハイウェイの分岐というところで
Livengood(ライビングッド)の入り口に来る。

ここはかつて金鉱が会った場所で現在は採掘会社が管理しており、一般人は全く入れない。
フェアバンクスのインフォメーションでも
「ライビングッド?あそこは完全に入れないわよ」と言われたが、
なるほど、大きなゲートが道をふさいでおり、外部の人間を拒絶していた。
なんだか異様な感じがした。

WEB上の写真から転載。


フェアバンクスの北70マイル、
マインリーホットスプリングスへ伸びる
エリオットハイウェイとの分岐点を起点とし、
ダルトンハイウェイは北極海、デッドホースまで続いている。

その距離414マイル。

アンカレッジを出発して10日目。
ついにやってきた。


Dalton Hwy。しかし、ここからが本番である。
この起点に来るまで、何度も「ダルトンハイウェイなんて本当に行けるのだろうか。」
という問いを繰り返した。


もう、進むしかない。
迷いは尽きないが、これ以上情けない自分は見たくなかった。
なんとしても北極海ヘたどり着く。


エリオットハイウェイは分岐までずっと舗装路だったが、
ダルトンハイウェイはgravel road、つまり未舗装の砂利道になる。

エリオットハイウェイはなかなかきついぞと思っていたが
ダルトンハイウェイはその比ではなかった。


ダルトンハイウェイに入った途端、荒れた道が続く。
砂と砂利の浮いた土の道が時折、長いアップダウンを繰り返しながら伸びている。


自転車の後ろに大量の荷物を積んでいて、
相当荷重がかかっているはずだが、
いつもどおりペダルを踏むとタイヤは容赦なく空転した。
これまでの舗装路より慎重な乗り方が求められることを今更ながら実感した。



中でも一番怖かったのは、急で長い下り坂だ。
荒れた道路の長い下り坂では振動が自転車に予想以上にかかり、
積み方の甘かった荷物は自転車から吹き飛んでいった。
幸いにもそうした荷物は何度かトラックの運転手が拾ってくれたりした。


また、そうした道では予想以上にスピードが出て、
自転車の制御が難しくなることもあった。
落車も怖かったが、そのときに巨大なトレ-ラーが突っ込んでくる可能性を考えたら恐ろしくなった。
自転車も止まるのが辛いのに加速のかかった巨大なトレーラーが簡単に止まれるはずがない。



ひとつ山を越えると次の山が見えた。
北極海への道は残酷なまでに果てしなく長く思えた。


そんな中で走り続け、Hess Creakという川にたどり着く。
川原で一泊することにした。

しかし、川原は泥でテントを張るのにはよくなかった。
そしてさらに真新しいクマの足跡を発見した。

「!!!!!!!」

大慌てで川から離れた。

結局、そこからしばらくいった湖でテントを張った。


アラスカのバックカントリーでキャンプする場合、
守らなくてはならない鉄則がある。

・食事はテントの風下、100m以上離れたところでする。

・においのする食料、医薬品、アルコールは同じくテントの風下に置き、可能ならば木につるす。

などだ。これはクマ対策のためである。
それ以外にも、クマに存在を知らせるため、
鈴で音を出すとか、クマと対峙してしまったときに使うベアスプレーも用意したりしておいた。


湖のそばで、大量の蚊に襲われながら、なんとか夕食を作り、モスキートネットをかぶったまま
そそくさと食べた。もう味なんてわからなかった。


それでもキャンプのルールは守った。いくら疲れていてもクマとのトラブルは避けたかった。
つい一週間にキーナイ半島でひとりキャンパーが襲われて死亡している。

テントに入り、惰性で日記を書く。

この日の日記が面白いので引用する。

『クマ対策をし、蚊と戦いながらメシ。もう何がなんだか分からん。
帰りたい。けどあと390マイルだ。でももう二度と来ない。』

ダルトンハイウェイショック。
とでもいえばいいだろうか。

疲労と緊張の中、眠りに落ちた。
白夜に近い空は夜10時を過ぎても明るかった。

2013年6月3日月曜日

自由であること 2006年8月2日

長い一日だった。

居心地の良かった「Go North Hostel」を離れ、Fairbanksを後にした。
北極海まで無事にたどいりついて帰ってくることができたら、
再び「Go North」に戻ってこようと決めた。

アラスカに来る数か月前までニュージーランドを旅していたが、
そのどの宿やキャンプ場に負けない魅力がある。

アラスカ州のハイウェイマップ。パイプラインと共に北極海に延びるのがダルトンハイウエイ


Fairbanksから北極海に行くためにはDalton Hwyしかないが、
そこに出るためには、Steese HwyとElliot Hwyを経由していく必要がある。

これら2本のハイウェイは大したことないだろうとたかをくくっていたが、
とんでもなかった。

Fairbanksを出るのにまず苦労した。
街の外れまでは順調に来るのだが、目指す最初の街(集落?)のFoxに出る道がわからない。
とにかくFoxに着いたのは予定よりだいぶ遅くなってからだった。


Fairbanks郊外のパイプライン。このパイプラインの果てに北極海がある。

ハイウェイの路肩の広いところで休憩。
前日に「Fred Meyer」で購入した長いバゲットのサンドイッチを齧る。

今更気が付いたが、私が走るアラスカのハイウェイにはトンネルがない。

つまり、目の間に広がるアラスカの山々はどこかで必ず越えないと
その先にはたどり着けない。

やれやれ。

しかし、道は確実に存在する。
とにかく走る続けるしかない。


午後1時頃、Foxから5.5マイルのところにあるHill Topのトラックステーションに着く。
ひっきりなしに客がやってきてにぎやかだった。
この日の出費はここでのコーヒー代1ドル25セントのみ。

道はずっと長い登りが中心で思った以上に距離が稼げなかった。
予定ではダルトンハイウェイ手前のLivengoodまで行けると考えていたが甘かった。
ダルトンハイウェイを前に追加した水と食料の重さがかなり響いて、
登りではセンター×ローのギアを踏んだ。膝に負担がかなりくる。

前哨戦のエリオットハイウェイでこの様では先が思いやられる。



今日はとにかく疲れた。


エリオットハイウェイ29マイルあたりに広い駐車場があった。
トレイルの入り口らしい。

ちょうどいい。
目標よりだいぶ手前ではあるが今日はここまでにしよう。



トレイルヘッドの看板の写真。いつかこんな旅がしてみたいものだ。

疲れ果てた中、テントを張った。


洗濯とかもうどうでもいいと思うとヒマでいいなと思った。


一、二時間眠った。


ふいに目が覚め、腹が減ったのでメシを食う。


メシを作って食っていると何気なく思った。


「あぁ、おれは今自由なんだ。」と。


それまでの私は
「明日は○×まで行きたい。70マイルオーバーで長いから早く寝よう。明日も早起きだ。」
アラスカまでやってきて、時間や走る距離 ばかり気にしていた。

早く、まずはダルトンハイウェイにたどり着かなくては。
早くダルトンハイウェイを北に行かなくてはそんなことばかり考えていた。

未だ 見ぬ辺境のハイウェイに私はいくらか恐れを抱いていた。


だが、どうだ。


何も無いところにテントを張り、自分したいこと、単純な欲求を満たす。
眠り、食い、酒を飲む。
明日は目が覚めたら起きて、行けるところまで行けばいい。
今はただ、アラスカの沈まぬ太陽の日を浴びながら、酒を飲み、本を読む。

包み込むような柔らかい日と、太陽から吹く風が心地よく通り過ぎていく。



自然に流れる時間。



一台の車がやってきた。「ハイ」私は軽く手を上げた。

「極北に行くのか」とドライバーの老人が聞く。

「ああ、プルドーベイまで」私はさりげなく答えた。

このハイウェイ上でどれだけの自転車乗りが同じ会話を交わしたのだろうか。

聞き手はいつも羨望の眼差しで自転車乗りを見るが、
自転車乗りはまだ何かを成し遂げたわけではなく、ただ旅の途中でしかない。
そんなとき自転車乗りはどんな顔をしているのだろう。

車が去るとき、助手席の若い女性が
「よかったら持っていって」といくつか食料を差し出してくれた。

「すまないが、あまり荷物は持てないんだ。一つだけ頂くよ。有難う。」

なぜか好意を断ることに後ろめたさはなかった。
私は彼女から一つだけ食料を受け取った。

「Good luck!」

車は去っていった。

太陽から風は止むことなく吹き続けていた。

世界のあり方が何であれ、今はこの日を感謝しよう。
明日は明日を旅する。