2014年9月30日火曜日

P.B.Pの男 2008年12月30日


クィーンズタウンは今日も朝から雨。毎日こんな天気が続くのだろうか。

気持ちはイマイチ乗らないが、今日は隣のStrahanの街へ行くだけだ。
距離は50キロというところか。

ゆっくり出ても昼には着けるだろう。

キャンプ場のレセプションで自転車のパンク修理が買えないか聞いてみると
ガソリンスタンドを紹介された。

街の中心部にあるガソリンスタンドへ行く。

クィーンズタウンから世界遺産の国定公園のすぐ横を走り、ストローンに続く観光鉄道

ガソリンスタンドで用向きを伝えると、自転車用ではなく、
モーターサイクル用のものを出してくれた。
大きいのは使えないが確かにこれで十分だ。

必要な装備を補充したところでクィーンズタウンを出る。

昨日とは違う道だが、谷底にある街から出るのに急な坂を3キロ登る。

これでクィーンズタウンとおさらばだ。
全く,
すごいところにある街だったな。

急な登りは落ち着いたものの、その後も緩い登り。

楽ではないが、焦りはない。
天気が良くなくても、目的地が遠くないというだけで、気持ちの面でだいぶゆとりがあった。

天気は相変わらずの小雨。


一瞬晴れたかと思うと、また急に雨が降って。ということを繰り返した。
ニュージーランドも似たような天気だったが、こちらも負けていないな。


ストローンの街の手前で道は下り基調になった。




ストローンだ。

街のメインストリートから海が見えた。

西海岸だ。


東海岸を離れて10日。タスマニアは南北のハイウェイが発達しているが、
東西はそうでもない。ここまで来たと思うと少し感慨深かった。



ストローンの街はクィーンズタウンと比べてかなり華やかだった。
ゴードン川のクルーズをはじめ、シーカヤッキングなど
各種アクティビティが楽しめるだけのことはある。

もっとも、期待していたゴードン川クルーズはクリスマス休暇で休みだったが。


海を臨むメインストリートのカフェでランチにした。



チョコレートマフィンにフレンチバニラ(写真右)、
パニーニサンドといつものカプチーノを注文した。

パニーニサンドはとても美味しかったが、フレンチバニラ(写真右)は激甘で何とも微妙であった。
久しぶりの外れスィーツだった。

パニーニはおいしかった
時間に余裕にあるのでカフェで手紙を書く。



普段、手紙など書かないが旅先ではこうして手紙を書くことが多い。
行く先々で買ったポストカードで書けば、内容はさておき、
土産代わりになるかなと思っている。

余談だが、そうやって旅先から手紙を送っていた少年(今は立派な青年)から
同じように旅先から手紙が来たときにはとてもうれしかった。


ストローンにて。同じ日とは思えない晴天

Discoveryという系列のタスマニア各地でキャンプ場を経営しているところに行き、
ドミトリー(相部屋)を2泊取った。

明日は休息日だ。

正直部屋を取って泊まるのは痛い出費だが、
雨が降ったり止んだりの不安定な天気では落ち着かないので
無理をせず部屋を取ることにした。


Discoveryは広くて清潔だった。


部屋は二人部屋だったが、滞在中、私だけだったので気楽に使えた。

同じ宿にクィーンズタウンで見かけたサイクリストがいた。




少し話をし、後で飲みに行こうということなった。

シャワーと洗濯を済ませ、街へ戻った。


タスマニアのビール「カスケードドラフト」を扱う店で飲む。

ビールのオーダーは簡単でいい。
「ペールエール、ワンパイント」これだけだ。


彼は名をMatthewといい、ずっとブルベをやっているらしい。

ブルベとは200キロ以上の距離を既定のコースで制限時間内に走るもので
世界各地で開催され、近年日本でも盛んになってきている。

なんと彼は4年に一度開催されるブルベの祭典、
パリ-ブレスト-パリ1200キロに4回出場しているという。

2007年は60時間で完走。2003年にはわずか56時間で完走したという。

またすごい男に会ってしまった。
私は"Great!"としか言えなかった。

帰国後、オーストラリアのオーデックスのページをみると
役員のところに彼の名前があった。納得である。


さらに話すと彼の姉か妹は沼津に住んでおり、英語の教師をしているらしい。
また、日本にも一度来たことがあり、広島から大山のあたりまで走ったそうだ。

日本のオーデックス1200キロにも出たいと言っていた。
(日本ではAudexをオダックスと言うが英語圏ではオーデックスと発音するらしい。)
ぜひまた日本で会いたいものだ。


2杯目のビールを取りに行ったが、なぜか彼の分も私が支払っていた。
まあいい。
 
彼のバイクはメルボルンの工房で作られたハンドメイドのクロモリでなんとWレバー。





これでP.B.Pを走っているらしい。

「カーボンバイクも持っているけど、オーデックスはこれだ。」とのこと。


宿に戻り、夕食はインスタントのラーメンとマッシュポテトで済ます。
食事を簡単に済ませるとすぐに寝てしまった。


しかし夜中、目が覚めてしまい、なんとなく宿の中庭に出た。
昼間に干しておいたアームウォーマーが飛んで行ってしまったらしく
誰かが物干しのワイヤーに縛ってくれてあった。いやはや有難う。

獣の気配がしたので振り返ると、すぐそばの木にモモンガがいて
私と一瞬目が合うと、そのまま飛び去ってしまった。


街のキャンプ場で野生動物が姿を見せるのいいな。

私は部屋に戻り、再び眠りについた。




2014年9月12日金曜日

GTに乗ったサイクリスト 2008年12月29日

レイクセントクレアのバックパッカーは宿泊客の割にキッチンが狭かった。

昨日相席になったおっさんは声がでかくてうるさくてかなわなかったが、
今朝はドイツから来たという40くらいの綺麗な女性が前に座っていて、
ある意味落ち着かなかったが、周囲は静かで穏やかな朝食だった。


少しお互いの話をした。彼女は旅慣れた人らしい。


「ジャムもらってくれる?余っちゃって」と使い切りタイプのジャムのパックを
いくつか分けてくれた。

ジャムを切らしそうだったのでこのささやかなギフトはうれしかった。

朝食を済ませると、彼女は席を立った。
彼女の静かで、どこかさびしげな印象はなぜかずっと頭の片隅に残った。

ワラビーもよく見かけるようになった

レイクセントクレアからは、三日連続の吹きっさらしの道。
強い風とゆるい上りで思ったより、距離が伸びない。

天候は朝から雨。

長距離を意識していつもより一時間早く出たが、
途中の平原で強烈な向かい風に阻まれ思ったより距離が伸びない。


この二日間は一日60キロほどしか走っていないが、
今日は100キロを越える予定。

食糧が心もとない、酒がない、という理由で何としても次の街、
クィーンズタウンまで走り切らなければならない。

イライラが募る。

ようやく西部に入る。ここも世界遺産


複雑なタスマニアンウェザーは突然雨がやんで
晴れ間が来たと思うと、また降り出すといったことを繰り返す、
という自転車乗り泣かせのものだ。

雨だったとおもうと突然晴れ間が現れる



途中で下りになり、一旦ペースを上げるが、
雨が激しくなり、コーナーもタイトになり結局スピードが出なくなった。
その上、雨が霙になり、体を激しく打ち付けた。


「痛い!イタイ!」
唯一、肌が露出していた顔に霙が激しく当たり、下りの速度がそれに拍車をかけた。


なんなんだ、一体?

ひどい道だ。

道沿いにウォーキングトレイルがあったので、立ち寄る。





少し歩いて回り、トレイルの入り口にいた男性と話す。
なんとイスラエルから来て家族で旅行しているらしい。
イスラエルの人と話したのは初めてだった。

コールスのインスタントラーメンと勢川のマッチ。よくわからない組み合わせだ


屋根のある休憩所で、少し早いがここでランチ。

とにかく寒くてコーヒーを二杯淹れる。
食事に昨日のパイの残りといつものようにインスタントラーメン。


足下がやたらと冷えるので、フリースの靴下を重ね履きした。
上も寒いので、起毛の長袖レーサージャージを着る。本当に夏なんだろうか。

旅に出る前、友人のスイス人サイクリストの忠告に従って、冬装備を持ってきてよかった。



後に知ったことだが、タスマニア西部は冷帯雨林気候で、
アフリカから西に吹く風が海から水分を吸収し、途中に遮る大陸もないことから、
タスマニアの山にぶつかって絶えず、雨をもたらすそうだ。
そのため、西側は雨が多く、寒いのに対し、東側は雨が少なく暑いらしかった。


その後は下り基調の道になった。


途中でアデレードから来たというクロモリロードに乗ったサイクリストに
あっという間に抜かれる。

2,3言話すとさっさと行ってしまった

その後、雨で体力を消耗していたこと、
それから気が滅入っていたことでやる気が起きず、ダラダラと進んだ。


差しは時折射すものの、とても夏とは思えない寒さで、
足はレッグウォーマー、上もジャケットを着るのが普通になった。

それで雨も降ればさらに寒さは増し、冬の日本を旅するのと遜色ないような状態であった。


そうした状態にあっても、それに耐えうる装備を持っていたのでよかったが、
悪条件は重なるものだ。


Victoria Passという峠の前で、スローパンク。


雨が降ったりやんだりする中で、積んだ荷物を下ろし、タイヤを外す。
雨のパンク修理ははサイクリスト一人を惨めな気分にするのに十分である。


今まで良すぎたツケがきたのか。それにしてもひどいな。


予備のチューブもこれで使い切ってしまった。
工具入れの中を確認すると予備パッチもイージーパッチしかない。
しまった。ロンセストンの宿で買っておけばよかった。


後悔しても仕方が無い。次のクィーンズタウンで買おう。


パンク修理を終え、再び走り出す。

下りでもやはり強烈な向かい風に阻まれ、思うように進まない。

苦戦した峠はわずか標高530mだった

峠まではダラッとしたのぼりだったが、頂上まで全然たどり着かなかった。


Nelson Falls。疲れていても寄り道。

バーバリーレイクという湖の横を通過。クィーンズタウンまで、残り15キロ。

雨が強く降るたびに、道路脇の木陰に避難し、今日どこまで行くか思案した。


雨が激しくなったので、少し雨がやむのを待とう、
と木の陰に入って補給食をとっていると、
反対側からグレーのGTに乗ったサイクリストがやってくるのが見えた。

レインギアフル装備の私とは対照的に
彼は蛍光イエローのウィンドブレイカーを羽織っただけで、
なんと下は海パンで足はサンダルだった。


私は習慣的に「Hi !」と手を挙げたが、
彼は私が立ちすくしてるのを見ると、片手をぶんぶん回して微笑み、
そのまま走り去って行った。



この彼の姿を見たとき、私はシビれてしまった。


彼はまるで「おいおい、何やってんだよ?走れ走れ!!」そう言っているようだった。


なにをやってるんだ?私は?

フル装備で、全身びしょぬれというわけではない。

装備に守られて中はまだ温かい。
それなのにここでどうして止まってるんだ?

彼は私よりはるかに軽い装備でなんでもないように走っていた。


そうだ、私たちはサイクリストだ。
雨がどうした。
ペダルを踏むのを止めたらどこにだって行けやしないんだ。


彼が答えを、エネルギーをくれた。


私はすぐにまた自転車にまたがり、ペダルを踏みだした。


「行くとも、そうさ、こんな雨ぐらいなんでもないよな」


名も知らぬサイクリストが前に進む勇気をくれた。
いつも誰かが、前に進む力を与えてくれる。




私は再び走り出した。

壮大な山々が正面に見える。
クィーンズタウンはあの山の向こうにあるようだ。
途中、かつて使われていたのだろうか
何かの採掘用の大型重機が放置されていた。


クィーンズタウンにようこそ、という看板から随分上った

タスマニア特有の急峻な山道を上っていく。距離にして3キロぐらいだろうか。
疲れがピークに達していて、一番軽いギアを踏むのがやっとでなかなか山頂が見えない。


ふと視界が開ける。

正面の山のてっぺんに「WELCOME TO QUEENSTOWN」の文字が見える。

街は山の下だ。

クィーンズタウンは周囲を谷に囲まれた街だった。
すごいところだな。

昨日、セントクレアで「ニュージーランドのクィーンズタウンと比べてみて」といわれたが、
なるほど大違いだ。
NZのそれは湖畔の風光明媚な観光地だが、こちらは辺境の鉱山の街だ。



下りになったこと、街が見えたことで私は少しだけ再び元気を取り戻した。

街に入った。
街には古い建物が点在していた。


街の反対側にあるキャンプ場を目指す。

タスマニアのキャンプ場は5時過ぎになると受付が閉まるので
慌てて行った。

キャンプ場にいくと今まさに閉めるところだった。

ボロボロびしょびしょなので、高いがキャビンを取った。


一旦、市街に戻り、買い物をする。
なぜかスーパーでツナ缶を買うつもりが、オイルサーディンを買ってしまう。
「おお安いツナ!」と思って買ったのが、パッケージには間違えようがないほど
デカデカと「オイルサーディン」と書いてあった。

よほど疲れていたのだろう。

間違えて買ったオイルサーディン。温めて醤油と山椒をかけて食べた

ワインも買い、キャンプ場へ戻る。

すっかり暗くなったキャンプ場のバスルームで
昼間、私を颯爽と抜き去ったローディーを見かけた。

彼もここに泊まっているようだった。



キャビンに戻り、ストーブの前でぬれた服を乾かす。
すぐに服から水蒸気が立ち上っていく。

疲れ切った体でパスタを料理し、ワインを開ける。


とにかく、一日走りきった。

スーパーで買ったリンゴ。日本のそれより小さいが「フジ」である。

私にとってタスマニアのクィーンズタウンは恐ろしく山の中にある、
という印象になってしまった。

雨模様なので、空が暗くてよくないが、晴れならばいい街に見えるだろう。

明日は晴れて欲しい。



2014年9月1日月曜日

Lake St.Clair 2008年12月28日

7時過ぎにゆっくり目覚めた。
キッチンで朝食を摂っていると、キッチンにいたおっさんが「今日は雨だぜ」と脅してくる。
窓の外を見れば、なるほど、そんな天気だ。


まずは次の集落、Bronte Parkを目指す。
グレートレイクから離れると道は再びダートになった。


道は再びダートに
走っているうちに体が温まってきたので、着込んでいたレインギアを道の端で脱いでいると通りがかった車が止まって、ドライバーの若い男性が「おい、トラブルか?」と声をかけてくれた。

「いや、何でもない。大丈夫だ」私が答えると、安心したのか走り去っていった。
やさしい人もいるものだ。ささやかな好意はいつでも大歓迎だ。





道は川と交わるところで、一度川の高さまで下った後、再び上りになる。
川に橋を架けるのに一番橋が短くて済むところに橋を作っているのだろう。
日本のように谷にそのまま橋をつくってしまわないのがいい。



自然にはやさしいが、サイクリスト泣かせの道だ。
この先の数日間、こうした道が続くことになる。

川のアップダウンがあったもののブロンテパークまでは思ったより早く着く。

ブロンテパークのジェネラルストア

ジェネラルストアでいくつかパイを買い、食べていると「Good morning」と声をかけられたので時計を見るとまだ、10時半だった。ここまでいいペースで来たな。


行儀のいい犬







ブロンテパークからは昨日に続いて、吹きっさらしの向かい風。
長い下りと上りも笑ってやり過ごせるようになった。人間変われば変われるものだ。



そう思っていたが、途中から道に飽きてきた。それに加えて雨が降ってくる。
次の集落Derwent Bridgeまで13キロという看板からがひどく長く感じられた。


いつもこんな感じでアップダウンだ


途中から今回の旅で初めて、雨対策としてレインオーバーグローブを投入した。
レインウェアのおかげで体が濡れることはなかったが、雨に長いこと降られれば気が滅入ってくる。そして体も冷えてくる。

ダーベントブリッジの手前に「The wall」というミュージアムを見つけ、入ることにした。



「The wall」はパイン材の板を彫刻・研磨し、
人物や道具などをリアルに表現した作品が展示されていた。



「The wall」の名前のとおり、壁一面に板に彫られた作品が並び、圧巻だった。


Web上から転載。場内は通常、撮影禁止

また、革手袋を題材にした彫刻作品があったが、木で作っているのにもかかわらず、皮の質感が見事に表現されており、ほんとうに素晴らしかった。

私は自分が旅をしていることを忘れてひたすら作品に見入っていた。

帰りがけにポストカードを2枚買った。そのうちの1枚で友人に手紙を書いた。



ミュージアムを出ると、雨はだいぶ弱くなっていた。
「The wall」からダーベントブリッジまではあまり遠くなかった。
ダーベントブリッジでビールを購入。少し高いが仕方ない。

ダーベントブリッジから今日の目的地であるLake St.Clairまでは目と鼻の先だ。

さりげなく世界遺産だ。どこかの国のように「世界遺産にようこそ!」とか書いてなくていい。


レイクセントクレアに到着。
寄り道をした割に、思ったよりも早く着くことが出来た。

ここは国定公園で多くのトレッキング客がやってくる。
インフォメーションセンターの建物も立派だ。



インフォメーションの入り口に指定キャンプ場とバックパッカーの空き情報が出ていたが、
ともに「No Vacancy」となっていた。

インフォメーションで話をすると、キャンプ場はいっぱいだが、バックパッカーは空きがあるという。キャンプ場でよかったのだが、仕方が無い。
当然のように国定公園内は指定地域以外キャンプ禁止である。


ビジターセンターに行く。ビジターセンターの職員に日本人の女性がいた。

これから湖の周りを少し歩いて、翌日はQueenstownの方へ向かう、
と言うとレイクセントクレア周辺地図の他に、クィーンズタウンまでの地図をくれる。

彼女に「ニュージーランドのクィーンズタウンに行ったことは?」と聞かれたので、
「ありますよ。小さいけれどきれいな街ですよね」と答えると、
「こっちのクィーンズタウンと比べてみて下さい」と意味ありげに笑って言った。


どういう意味だろう?だが、それ以上教えてくれなかった。


彼女はこちらの学校でレンジャー関係の勉強した後、ここで勤めているそうだ。
ここで働けるのは運がいい、と言っていた。

なんでもタスマニアでは就職するのにコネがないと難しいことも多いらしい。

ふと、東海岸のコールズベイで出会ったヒロキくんが、
レイクセントクレアからクレドルマウンテンに連なるトレイルを
1週間ほどかけて歩くと言っていたのを思い出し、
ヒロキくんが来なかったか聞いてみたが、彼女は見ていないという。
もう一度ヒロキくんに会いたかったな。


レイクセントクレアの周りのトレイルを1、2時間歩いた。






 





ときどき小雨が降る中、鮮やかなレインウェアに身を包んだ人々がトレイルの入り口を行き交う。少しトレイルを進むと人もまばらになった。





湖畔に下りると、風がゆられた水が岸に当たって小さく砕ける音が聞こえる。


あいにくの空模様だが、グレーの静寂の風景はずっと印象に残った。



この日の日記には「少し歩いただけでは、良さがわからない」と書いてあるが、
思い返すといろいろな景色が蘇ってきて、いいところだったんだなと思う。


旅のあと、旅を振り返るというのは、すぐにはわからなかった気持ちや感動を再発見するのにいいのかもしれない。