2013年9月25日水曜日

北極圏からの離脱 ‐ 再びGo Northへ 2006年8月12日

寝不足のまま、朝を迎えた。

 

朝食が7時までということで早起きは辛かったが、レストランで朝食を済ませる。
食事はビュッフェスタイルだった。あまり食欲はなかったが一応食べた。

このホテルは石油採掘関係の労働者が多く使うらしく、
通路など至るところに作業服などがかけてあった。

 
そうした労働者たちのランチのテイクアウト用だろうか、
レストランにはサンドイッチなどの包みがいくつも置いてあった。
 朝食を摂ると、包んであったサンドイッチ、マフィン、ポテトチップスの袋を2個ずつ貰っておいた。 ほんの思いつきだったが、のちにとても役に立った。


部屋に戻る。
泊った部屋はせまいシングルルームだった。
仕事で北極海まできて、一日働いた後、
この小さな部屋で故郷へ帰る日を指折り数えるのはどんな気分なんだろう。
 
 
昨日空港で助けてくれたテリーの少し寂しそうな顔を思い出した。
部屋の小さなテレビをつけるとCNNがずっとイギリスのテロのニュースを繰り返し流していた。
 
私はそのテロが未遂ということに気がつくまで随分かかり、
どうして犯人逮捕の映像ばかりで被害者や現場の映像が出ないのだろと
不思議に思いながら画面を眺めていた。
 
テロの影響で飛行機の手荷物に水の入ったボトルが持ち込めなくなったのを昨日の朝、
アリーが教えてくれた。そして、リップクリームなどもどうやらだめらしいと付け加えた。
 
 
その後、アラスカエアの窓口で確認したら
念のために判断に迷うようなものは持ち込まないでと窓口の女性が言っていたが、
彼女自身も困っている様子だった。



 
 

 
簡単に荷造りを済ませて、ホテルのフロントに行く。
空港まで送ってもらうことになっていた。
 
 
空港に着くと多くの人でにぎわっていた。
昨日私の窮地を救ってくれたテリーもカウンターの列に並んでいた。
私を見つけると微笑を浮かべて小さく手を振ってくれた。
私は帰国後、彼にお礼の手紙を書いた。
 
空港の建物の端でアリーとレオがゆっくり荷造りをしていた。
とっくにチェックインの時間を過ぎているはずだが、
のんびり作業をする彼らを見て、旅慣れた男たちはさすがだなと妙に感心した。 
 
今日は無事にチェックインのコールがかかり
アリーたちと話しながら飛行機に向かう。
 

アラスカエアの機体に描かれたイヌイットを見てアリーが
「おい、シマ。あれはチェ・ゲバラか?」と言ったので笑ってしまった。
実は私もそう思っていたのだ。



飛行機の中で久しぶりの冷えたビールを飲む。
ビールは別料金で5ドルだったが、100ドル札しか持っていなくてスチュワードの男性に迷惑をかけてしまった。

アラスカエアはビール別料金5ドル
デッドホースからフェアバンクスまで1時間ほどのフライトだった。
さんざん苦労して自転車でやってきたが、飛行機に乗ってしまえばあっけないものだ。


フェアバンクス到着。
しかし、荷物の一部、というか自転車が別便で来るらしく届かなかった。
アラスカエアの女性に確認すると、宿に送るから泊るところを教えてほしいという。
私は「Go North」の名を告げた。女性はすぐわかったようだった。

アリーとレオはロサンゼルス経由でオランダに帰るらしい。
ロスまでのフライトに少し日があるようだ。
彼らはまだフェアバンクスでどこに泊るのか決めていないらしいので、「Go North」をすすめ電話番号をおしえてやると早速予約していた。


空港を出ると外は雨。
雨はさほど問題ではないが、自転車がなくてはGo Northまで行けない。
仕方ないのでタクシーを拾った。


タクシードライバーは別のホテルと間違えていたが、なんとか「Go North」に着いた。
前回泊った時からわずか10日余りだが、「Go North」に戻ってきてなんだか嬉しく、そしてほっとした。


今回はテントサイトにテントを張った。
雨が降りやまず、食事はどうしようかとキッチンでボーっとしていた。
昼食に朝もらってきたサンドイッチなどを食べた。

キッチンの外の軒下で雨を見ていると
ベンチに座った男性に話しかけられた。

「日本人だよね?」

その人は名をケンジさんといい、ユーコン川をホワイトホースからサークルまで
カヌーで下ってきたらしい。すごいな。
聞けば日本人のパドラーは多いらしい。

「なぁ、ビール飲む?バドならあるよ」
私は遠慮せずもらった。

今思えば、ああして「Go North」で昼間からビールを飲みながら
雨を眺め、旅する人と話をするなんてなんて自由な時間だったんだろうか。


ふいにケンジさんが言った。
「ねぇ、カレー食いたくない?うさん臭いのじゃなくていわいる普通の日本のカレー。作らない?」

「いいですね。料理には少し自信があります。きっとあの巨大なフレッドマイヤーならカレー粉も手に入るんじゃないですか。」私は即答した。いいアイディアだと思った。


雨が弱くなるのを待って、二人でフレッドマイヤーへ行く。

カレー粉はアジア系食品のコーナーにエスビーのカレー粉があった。
「あった!!」二人で大きな声を出してしまった。

そのほか野菜と肉売り場でキチンを買い、フレッドマイヤーを後にした。


ケンジさんは米炊きには自信があると言い、私はカレーを作った。
明らかに二人分より多かったが、まあいいだろうということになった。

雨がやんだのでファイヤーピットで焚き火を囲んでカレーを食べる。
うまい。当り前か。

そのままさしてうまくないバドワイザーを飲んでいると
もう一人日本人がやってきた。
 

まだ夕食を食べていないという。

「キッチンにカレーとご飯あるからレンジで温めて食べなよ」
ケンジさんが言うと、感激してキッチンに消えていった。

その日本人を加えてさらにバドを飲んだ。

その日本人男性は岡崎出身で渡辺さんと言った。
聞けば、私がスタッフで参加した野田知佑を招いたイベントに参加していたらしい。
それは参加者わずか30名程度のイベントだったのだが
まさかその参加者とこのアラスカで出会うとは。

渡辺さんの住まいを場所を聞くと、だいたいすぐにわかった。
「あぁ、五味八珍とかあるへんですね。」と私が言うと
「ギャー、アラスカくんだりまで来て『五味八珍』とか言われちゃったよー」と渡辺さんが叫んでいた。
悪いことをした。。

渡辺さんは今日寝坊してしまい途方に暮れていたが、
私がダルトンハイウェイで会った「ネーチャーイメージ」の牧栄さんがなんとかしてくれるらしい。

渡辺さんのブログから転載。右が渡辺さん。

※渡辺さんもまた自身のブログに当時の様子を書いている。こちらもぜひ見てほしい。
http://yukon780.blog.fc2.com/category13-2.html

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三人でファイヤピットで焚火を囲み、さしてうまくないバドワイザーを飲み続けた。

誰かが探るように聞いた。「ねぇ、遺書って書いた?」

「書きました。」私は答えた。


そう、
死ぬ気はさらさらなかったが、
もしかしたら死ぬかもしれない、本気でそう思ったのだ。

私は家族と友人と当時好きだった女性に遺書を書いた。

「もし、私が自分の求める極北の地から戻らぬことがあるならば伝えて欲しい、、、」

そんな書き出しで始まる遺書だった。内容はさしてない。
あのとき、もう失うものは何も無かった。
ただ、伝えきれぬ想いを伝えることが出来るなら、そう考えたのだ。

遺書は必要なくなった。

死の恐怖に直面したが、私は生きて極北から戻ることができた。

「なんとなく、こう、もしかしたら、ってあるじゃん。
だから会社の後輩には全部引き継ぎしてきたし、彼女にも遺書書いたよ」
誰かがそう言うのが聞こえた。

アラスカの荒野に向かう人はこうした覚悟を誰しももっているのだ。

「知らない人からしたらバカばよね。でも、ねぇ?」
その言葉に私達は深く頷いた。

友人達に「なに、生きて帰るさ」と軽く言ったものの、
実際は自分が死ぬことも視野にあった。だからこそ、遺書を書いた。


「バド終っちゃたな。おれジャックダニエルあるんだ。もってくるよ。」
ひとりがそういって席を立った。

私は薪をくべ、炎を見つめた。


今なら笑い話だ。
でも当時、アラスカにいたときは本気だった。
ただ少なくとも当時の私たちにはそのぐらいの覚悟があったんだと思う。


2013年9月10日火曜日

北極の街 2006年8月11日 

オランダ人サイクリスト、アリーとレオの部屋で一泊させてもらい、
パブリックスペースで日記を書いて時間を過ごしていた。

オランダ人サイクリスト、レオ。デッドホースを散策していた。


午後からプルドーベイツアーに行くのだ。

ダルトンハイウェイの終点であるデッドホースという町は実は北極海の真横にあるわけではない。プルドーベイという湾まで少し離れている。

このデッドホースは北米最大級の石油採掘基地であり、
その石油がが埋蔵されているプルドーベイ一帯はPBなどの大手石油会社の所有物になっている。一般の人間はこのプルドーベイには立ち入ることは出来ない。


そのために、石油会社の主催でプルドーベイツアーというバスツアーが用意されている。


午後からカリブーインでツアーの担当者から出発前の説明会があった。

プルドーベイでの石油開発の歴史から、現在の採掘、自然への配慮など、長々とDVDを見せられる。


説明会で配布されたパンフレット

なるほど、英語の講義を受けるとこんな感じか。英語がほとんどできない私にはまるで理解できない。



最後に説明者から

「北極海で泳ぎたいひとは手を上げて!」と声が飛んだ。

オランダ人の二人はすぐに手を上げた。
彼らの後ろに座っていた私は躊躇していたが、

「おい、シマ、泳がないのか?ここまでわざわざきたんだぞ!」と
アリーが気は確かかと言わんばかりにまくし立ててきて

「あぁぁ」と曖昧な返事を返すか返さないうちに

「もう一人、追加だ!タオル用意してくれ!」とレオが言った。


もう、勝手にしてくれ。私は苦笑した。



デッドホースの町外れのゲートから北極海まで思ったより距離があった。

途中、多くの石油関連施設や重機が点在していた。



そうした建物の明かりが白霧の中にぽうっと浮かんでいた。

バスの向かう先から、霧が流れてきているようだった。


そうか、この霧は北極海の霧なんだ。


バスが海に着いた。


ドライバーは「泳ぐ人はタオルを」とバスを降りると白いタオルを渡してくれた。



私とアリー、レオはタオルを持って波打ち際に向かった。


北極海は霧で白く、冷たい灰色をしていた。
浜は砂ではなく、小指大の砂利だった。


私達は早速水着姿になった。


気温四度。もう迷うことはない。


「よっしゃー、行くぞ!!」


私は飛び込んだ。
冷たい、痛い、あぁぁぁぁぁ、なにしてるんだおれは!!


同じく飛び込んだアリーとレオだが、レオは勢いよく飛び込んだのか、
水着が脱げてしまった。



凍えながら、私とアリーは声をあげて笑った。

レオは「アメリカサイズは大きすぎるんだ」と困ったように言っていた。


凍えた体で服を着るのは苦労した。
早く服を着たい焦りとかじかんだ手。
こんな時に限って靴下に五本指ソックスを履いてきてしまい、
履こうにもなかなか履けなかった。


帰り際、レオがポケットに石を入れていた。

北極海の木片と石

私も北極海の石と流木の破片をポケットに詰め込んだ。




プルドーベイツアーから戻るとその足で空港に向かった。
その日の夕方の便でフェアバンクスに戻る手筈になっていた。
アリーとレオに手短に別れの挨拶をした。


空港でギリギリの時間にチェックイン。
自転車その他は事前に梱包を済ませ、アラスカエアに預けてあった。
この前日、イギリスの飛行機テロ未遂があり、いつもよりチェックが厳しいようだった。



空港ロビーでしばし待つ。
時間が経つにつれ、人が増え、この町にこんなに人が居たのかと今更ながらに思われた。

定刻になっても、案内がかからない。

何事かアナウンスしたが、英語がよく聞こえなかった。
まさかキャンセルか?

そばにいた昔ERに出ていたアンソニー・エドワーズ似の男性に訊いた。
「すまん、私は英語がよくわからないんだ。フェアバンクス行きはキャンセルか?」

彼はゆっくりとした英語で説明してくれた。

「天候不順で今、着地のリトライをしているんだ。でも、難しそうだ」

ここでフェアバンクスに戻れないとなると、デッドホースでもう一泊?

冗談じゃない。

飢えたグリズリーが歩き回る街でまさかキャンプも出来ないし、宿泊施設はどこも高い。
それにパイプラインの故障で多くの労働者がこの街に集まっていて宿はどこも埋まっているとレオが言っていた。

不安なまま待っているとアナウンスが入り、人々がカウンターに並びだした。
先ほどの男性の方を見ると、小さく頷いた。

「そんな、キャンセルなんて、、」私はどうしていいか分からなくなった。

それでもどうにかするしかない。
ともかく行列に並び、明日の振り替え便の予約をした。


行くあてもなく、空港向かいの「Prudhoe Bay Hotel」に行く。
やはり泊まれる部屋はない。
フロントの女性が何かまくしたててきたが、うまく聞き取れなかった。

困っていると先ほど空港で会った男性が助けてくれた。
「彼は英語がうまく話せないんだ。…… そうか、わかった。ありがとう。」

彼はまた、優しく説明してくれた。

「North slope Boroughは空きがあるみたいだ。友達が車を貸してくれるっていうから送ってあげるよ。少し待ってって。」

私はは彼に知っている限りの言葉を使って感謝した。

彼の友人を待つ間、私は保険会社に電話した。
宿泊費が保険でカバー出来るようで少し安堵した。


しばらくして彼の友人がやってくる。


「お待たせ。さあ行こう。」彼が車を走らせた。

彼は名をテリーと言い、三週間のプルドーベイ勤務が終ってオレゴンに戻るところだったそうだ。

「早く帰りたいよ」そういって淋しそうに笑った。

聞けば、テリーも地元でMTBをやっているそうだ。
私は思わず、「今年のツールドフランスは誰が勝った?」と尋ねた。

「フロイド・ランディスだ。でも彼は薬物検査で両方のサンプルがポジティブだったらしいよ。」とテリーは言った。

意外なところで意外な話をきくことが出来た。


車はデッドホース郊外「North slope Borough」に着いた。


テリーはチェックインまでしてくれ、笑顔で去っていった。


有難う。


旅先では多くの人がこうやって私を助けてくれた。
どうして、と思う。

でもきっと、こうして手を差し伸べてくれる人に
助ける理由なんてささいな事でしかないのではないだろうか。
こんな人になりたい。



*********************

帰国後、しばらくしてデナリの近くで会った日本人女性と話す機会があった。
彼女もまた極北の街、バローに行ったらしい。

彼女と話しているうちに、極北の街の話題から離れられなくなった。
いつしかつかみどころのない北極海の街の雰囲気をなんとか表現しようと夢中になっていた。

我々が行った街は違うところだけど、
どちらも北極海に面したところだ。
話しているうちに、共通の何かがあることが分かった。


白の世界。
沈黙の街。
音と言えば、未舗装路を駆け抜けていくトレーラーの騒音。
それから北の果てから逃げるように飛んでいく飛行機。


普通の街と言えばそうかもしれない。

だが、白としか表現できない色。
沈黙と無機質でしかない音。


私はデッドホースを思い出すときなぜか、
カリブーインから小さな空港までのストリートにあった温度計の電光板を見上げる自分を思い出す。



「私、あそこから逃げ出したかった。さみしい景色で、でもそこに暮らしてる人がいて。なんだか不思議だった。」


そして彼女はこうも言った。
「もう一度行きたいかって聞かれたら行きたいって言うと思う。」


その気持ちがよくわかる。
世界の果てまで行こうと決めて、たどり着いた場所は
どこか淋しい景色で、これ以上ここにいてはいけない、
そう思わせる場所だった。

世界の果ての景色が私にとっての何なのか、
よくわからない。

だが、もう一度、そこに行って、ほんとうにそんな淋しい世界だったのか、
確かめたいと思う。