2013年5月22日水曜日

Fairbanks,Go North Hostel  2006年8月1日

昨夜、居心地のいいキッチンでのんびりしていると
子供が日本語を習っているという一家と仲良くなった。
「あいうえお」から始まっていろいろ訊かれる。

一家は父親、母親と女の子が二人。

しばらくするとニュージーランドからきたバイク乗りのジョッシュも加わって
日本語講座になった。

日本語を習っているという上の女の子は「送り仮名」について質問してきた。
なかなかいい質問だ。
結局は覚えるしかないけど、日本人もよく間違えるから慣れることだよと言っておいた。

父親の話を聞く。

「小さい頃から他の国の言葉を教わるのはいいことだと思うんだ」
そして、彼も彼の奥さんも子供たちと一緒に日本語の勉強をしている、というより
子供と話しているうちに覚えたのだろう。彼はいくつか日本語の単語を口にした。
とても素敵な一家だった。



こういうところに小さい子供を連れて泊まりに来る家族はとてもいいなと思った。


朝。私は久しぶりにのんびり起きた。

昨日の女の子が「何か日本語の本はないの?」と言うので「この難しいのしかないよ」と
私は隆慶一郎の『死ぬこととみたり』を見せた。

並ぶ漢字を見て「ウッ、難しすぎる!」と彼女。渋くなった顔もかわいらしかった。

それから数年後、高校生になった彼女から突如エアメールが来て驚いた。
「連絡取り合おうね」という手紙だったので返事を書いたが、その後返事はなかった。
女の子は気まぐれだ。


明日からの極北への旅に向け、情報収集と買い物をする。

荷物を外して軽くなった自転車でFairbanksの中心部へ。


まずはインフォメーションセンターに行く。
北極海へ唯一つながるDalton Hwyに行く前に少しでも情報が欲しかった。

インフォメーションには幸いにも日本人女性がいた。
北極海のPrudhe Bayから戻る手段を聞くとバスが使えるらしいことが分かる。

その女性はいろいろ教えてくれた。
話しているうちになぜか人生相談になってしまった。

このころ、付き合っていた女性と上手くいっておらず、
女性はどう考えるのかを教えてもらった。
ただ、この時の自分には何ともできない気がした。

また、この女性は
「あなたが今付き合っている人だけが女じゃないから大丈夫。
今はそう思えないでしょうけど。
たくさんの日本人が、サイクリストが、プルドーベイに行っているけど、
行けばあなたの人生観も変わるわ。無事にフェアバンクスに戻ってきたらまたいらっしゃい」と
言ってくれた。


私はプルドーベイから戻って数年間、この言葉の意味を考えていたが、答えは出なかった。
人生観は変わったかどうかわからなかった。

ただ今になってその意味が少しわかるような気がする。
だから今になってこうして記録を起こしているのだと思う。

インフォメーションのその女性に「写真撮らせてください」と頼むと即座に
「ダメ。でも名刺あげる」と名刺をくれた。

北極海への旅は本当に自分を変えるのだろうか。
私は自信を持って「Yes」と言えなかった。

インフォメーションを後にし、アウトドアショップを回る。
アンカレッジもだが、フェアバンクスにはいい店が多いと思う。
自転車用品も充実していた。

悩んで結局買わず終いだったが、レザーマンが安かったので買っておけばよかった。

これから足を踏み入れる北極圏の寒さに備えて
「PROSPECTOR」という店で薄手のフリース手袋を買った。

「Go North」に戻り、キッチンで食事。昨日の残りのカレーだ。
アメリカのビールはさしてうまくないが、ないよりははるかにましだ。

食事の後、ビールを飲んでいると、昨日話していたニュージーランド人のジョッシュと
彼女のメレウィンがやってきた。

彼らはなぜかトルティーヤとチリコンカンのようなものを食べていた。
聞けば、よく食べるという。

しばらく話す。

メレウィンがクマについていろいろ教えてくれた。
ブラックベアは比較的臆病だが、ブラウンベア(グリズリー)は危険らしい。
耳を伏せているときは特にいけないらしい。

また、ブラウンベアは首の後ろにこぶがあるからすぐわかるそうだ。


彼らがニュージーランド出身というのでニュージーランドの話をする。
 メレウィンは首都ウェリントンの出身らしい。

「ウェリントンか。あそこにはいいアイリッシュバーがあったな。なんだっけな?」
私がそう言うとメレウィンはハッとして「ええっと、、、」と店の名前を思いだそうとしていた。

「モリーマローンズ!!」思い出して私が言うとメレウィンは満足げにうなずいた。

「私たち旅をして長いの。べつにニュージーランドに帰りたいって思ったことはないけど、モリーマローンズ、あそこになら戻りたいわ。」と遠い目をしていった。

モリーマローンズ。ほんと、あそこはいい店だった。まさかアラスカでそんな話になるとは。

オランダ出身のリチャード。彼も、、クレイジーだ。後にいるのはメレウィン




部屋に戻ると、同室の軍人のような五分刈りのいかつい男が話しかけてきて
食料をくれた。無口でちょっと嫌な奴だな、ぐらいに思っていたが、話してみるといいやつだった。
彼はアラスカの旅を終え、母国へ帰るのだという。

話してみないと分かり合えないものだなと思った。
つたない自分の英語と先入観にとらわれてしまう自分が情けなかった。


ベッドに横になる。


明日から北極海を目指す。いよいよだ。
旅は佳境を迎える。

Ten miles behind me,ten thousand more to go.

2013年5月17日金曜日

Skinny Dicks Halfway Inn 2006年7月31日

6時半起床。

雨は降っていなかったが、今にも降り出しそうな空模様だった。
Parks Hwyも今日が最後。ようやくFairbanksに到達する。

天候はよくないが、待っていても好転しそうにもないので走り出す。


寒い。


時折吐く息が白くて驚く。夏の半袖ジャージとレーサーパンツの上に
ゴアテックスのレインウェアを着てちょうどいいぐらいだ。

珍しくアップダウンが続き、楽ではないが、体が冷えないのでかえってよかったのかもしれない。

Fairbanksより北に行くともっと冷えるだろうか。




Nenanaから25マイル。ちょうどFairbanksとの中間地点あたり。
『Milepost』によれば食事のとれる店があるようだ。
広告欄には「FOOD・DARTS・POOLTABLE・ALASKAN BEER・COCKTAILS」とある。
その店は「Skinny Dick's」。

すごいところであった。




まず、この外観で「ん?」となった。
なんだあのクマは。

ある意味、地元にある自転車とカヌーのプロショップのようだ。



入り口のこの看板。
"ENTER AT YOUR OWN RISK"  いいねぇ。
ある意味アラスカらしい。

中に入るとカウンターで店の中年女性と客の女性が話している。

私もカウンターに座る。

店の中を見回すとあるわ、あるわ。くっだらない卑猥な土産物が。
写真の端に写っているものでだいたいどんなものが置いてあるか想像できると思う。

いつもお世話になっている自転車屋さんに土産を購入した。
現物が見たい方はそちらに行って欲しい。まだあるはずだ。
アラスカくんだりまで行って買った土産にしてはあまりにくだらない土産である。

 店の女性にバーガーをオーダー。
全く期待していなかったが、思いのほかおいしかった。

店の女性もバーガーも一見普通なんだがな。。。
貴重な経験をした。



Skinny Dick'sのトイレの中。思わず笑ってしまう。


Skinny Dick'sの後も道はひたすらアップダウン。
だんだんキツくなってきた。それでもなんとか終日、フロントのギアは一番大きなアウターで回すことが出来た。北極海に続くDalton Hwyまではギアに余裕を残したい。

 



雨が上がって、晴れ間が見えてきた。
Fairbanksだ。これでParks Hwyともお別れ。
よく整備されたハイウェイだった。

Fairbanksの街に入ると久しぶりの街になんだか緊張した。
街の西側からFairbanksに入り、大型スーパーマーケット「FRED MEYER」で買い物をする。

食料を思いつく限り購入した。
アラスカで唯一、北極海に延びるハイウェイ、Dalton Hwyがいよいよ近づいてきた。

日本から持ってきた『地球の歩き方』に書いてあった街の東にあるユースホステルへ向かう。

ストリートの名前と地図を確認し、ユース近くまで来たようだが
よくわからない。


海外の都会ではよくある。


迷子だ。


地図を睨めつけウロウロしていると、大きなフォードのSUVで通りかかった女性が
車の窓から顔を出し「どうしたの?何か探してるの?」と声をかけてくれた。

私は「迷子なんだ!」と答えると
「今、車回すから待ってて!」といい、ダイナミックに車をUターンさせてきた。

女性はモスグリーンのフリースとジーパンの似合うカッコイイ感じだ。
彼女は私から宿の場所を聞くと車から『Milepost』を出し、
手際良く私にどうやって行けばいいかを教えてくれた。

写真を撮らせてもらおうと思ったが、あっという間に車に戻っていってしまった。

しかし、彼女は私を心配して、しばらく車でついてきてくれた。
いい人がいるもんだな。


ユースに着く。まちがいなくこの場所だが、ぱっと見は普通の民家だ。
呼び鈴を鳴らしてみる。
男性が出てきた。

泊まりたい旨、話すと、男性は「すまない、ここは閉めたんだ。別のところに移動したんだ」と
すまなそうに言った。

くそっ、『地球の歩き方』め。

男性が新しい宿を教えてくれる。
宿はなんと街の反対側、先ほど買い物した「FRED MEYER」のそばであった。
疲れがどっと出た。結構遠いぞ。

男性は「休憩していくか?トイレはいいか?」と言ってくれる。
気を遣ってもらいとてもうれしかった。



再び街の西側まで走り、宿に着いた。



宿の名前は「GO NORTH HOSTEL」。

「GO NORTH」。写真はWeb上から転載。広くてきもちがいい

かっこいいじゃないか。
まだ新しいだけあって、すべてがきれいだった。
一泊24ドル。シャワーは1ドル。ランドリーはなかったがキッチンがしっかりしていたのがうれしい。

「GO NORTH」のキッチン(Webより写真転載)

ここのキッチンはとても居心地がよく、とても長い時間を過ごした気がする。
いろんな旅人といろんな話をした。


キャンプエリア(写真Webより転載)。極北から戻ったときに利用した

これもWebで見つけた写真。受付でもらえる地図。ひどく懐かしかった。


長い一日だったのでキャンプエリアではなく相部屋を取った。
テントエリアの隣のWolfの棟だった。同じ部屋の五分刈りの男がやや怖い。

スーパーで買ったアジアン系のカレーペーストでカレーを作った。
日本のカレーよりもだいぶ辛い。たくさん作ったので明日食べよう。



こういう宿のいいところはキッチンで食器とコンロ、場合によっては調味料が使え、
たいてい冷蔵庫も使える。
冷蔵庫を使う場合は自分のものに名前とチェックアウト日を書いておいておくのがルールだ。

ときおり、ドレッシングなどは前に泊まった客が置いていったものが「FREE」と書き直しておいてあり、使うことが出来た。


辛いカレーを食べ、ビール飲み、テラスへ出た。

宿のボーダーコリーが自由に走りまわっている。
実家の老犬は元気だろうか。実家に手紙を書いた。



2013年5月12日日曜日

Nenanaの休日 2006年7月30日





この日は休息日にあてた。



当面の目標であるFairbanksまでは58マイル(約90キロ)。
普通に走ることが出来れば一日の距離だが、旅はまだ長い。
イマイチ冴えない体調も考慮して、一日のんびり過ごした。

Nenanaの街、というか小さな集落を散策する。

ガイドブック『Milepost』によれば2006年当時で人口549人。

Nenanaはおおむね碁盤の目のように東西南北にストリートが何本が走っており、
南北方向のストリートは西からA Street、B Streetとなっており
東西方向のストリートは北からFirst Street、Second Streetといった具合で何とも分かりやすい。


『Milepost』の話題が出たので書いておくが、
この旅で私は『Milepost』というガイドブックを主に使っていた。
これはアラスカと隣接するカナダの一部のハイウェイを解説したもので
かなり詳細な情報が記載されている。


ハイウエイ上の街の概要から道の状況までが、基点から情報のあるマイルごとに書かれており、
登りが○○マイル続くとか、ここから制限速度何マイルといった道路情報から
横切る川で釣れる魚のことまで、情報量豊富なガイドブックである。




ただ、問題はタウンページぐらい大きいということだが、
そこは必要そうなページだけ切り取って持っていくことで解決した。


ちなみに2006年当時、世界的に一般的であろうガイドブック『Lonely Planet』のアラスカ版は発売したばかりで日本では手に入らなかった。

また、一応『世界の歩き方』を持っていたが(これまた軽量化のため必要ページだけ)
こちらはサッパリ役に立たず、Wisemanという街の宿で宿泊料金が『地球の歩き方』優待割引になったぐらいだ。


『Milepost』のおかげで旅からかなり不安要素が減り、計画も立てやすくなったので
とても助かった。もしアラスカのハイウェイを旅することがあれば是非使っていただきたい。




街を散策した後、アラスカ鉄道の駅構内にある資料館を見学し、土産を少し買った。


そのあとカフェでチーズサンドイッチと薄いコーヒーで昼食。
トーストにはお約束のようにバターが塗ってあり少々くどかったが、
添えてあったピクルスが酸っぱくてちょうどよかった。

 




ビジターセンターに立ち寄る。

ビジターセンターの前。アラスカではこうした四輪バギーをよく見かける
ビジターセンターにつりさげられたオオカミの毛皮。ちなみに売り物
ビジターセンター内のデスク。ここでアイスクラシックの申し込みが出来る。過去数十年の解氷日の資料がある。

Nenanaには「Nenana ice classic」という伝統的な賭けごとがある。
これは近くを流れるネナナ川が春になって凍結した氷が割れる日と時間を当てるというもので
一口2ドル50セントで申し込みできる。
私もせっかくなので一口購入した。
万が一、当たるといけないと思い、連絡先電話番号にご丁寧に国番号まで書いたが連絡は来なかった。残念だ。

Nenana Ice Classicの監視塔。ここから解氷を見守る。





テントに戻ると、テントに小さなメモが張りつけてあった。
この日のランドリールームの暗証番号だ。
管理の人は一応私のことを覚えていたようだ。

キャンプ場では本から持ち込んだ時代小説を読み、日記を書いて過ごした。

まだどこか頭がぼっーとしていた。



冴えない頭でこうして時の流れに身を委ねるのも悪くない。
何十年も経って、Nenanaのキャンプ場でこうした時間が存在したことを思い出すのだろうか。

この旅は何も生まないかもしれない。

そんなふうに思うこともあったが、こうした時間に身を任せて過ごしたという経験、これが今後の人生の中でどれほどの意味を持つか分からないが、なんだがこれはこれで重要なことに思えてきた。

この私の過ごした時間は、今後の私の人生に一つの確かな経験、私の中の誰も奪えない、貴重なものであるならば、この旅も意味をもつかもしれない。

ときおり近くを走る列車の、ゴォーという地鳴りのような音と力強い汽笛が鳴るのが聞こえた。




2013年5月10日金曜日

Fireweed lodge 2006年7月29日

体調がイマイチすぐれなかったが、動けないほどではなかったのでHealyを後にする。

体調によってはもう一泊しようかとも思ったが、
キャンプ場の宿泊料も安くなくシャワーも水しか出ない。
唯一のいいところはクマの心配をしなくていいぐらいだった。


10時を過ぎたころ、雨が降り出す。
自転車で走っていて辛いのが雨だ。
体調がすぐれず、頭がぼーっとする上、雨で気分は相当憂鬱だったが、
Healyから20マイルほど一気に走った。

June Creekという川のほとりの休憩スペースで休む。
自転車で走っているととにかくお腹が減る。

朝食は海外に多い薄いスライスのトーストを2~4枚食べるが、
昼前にお腹が減るので
休憩ごとにミューズリーバーを齧るのと、
昼食前に少し長めの休憩を取ってインスタントラーメンをよく食べた。

この日もここでラーメン休憩をした。
アラスカでは日本よりも一回り小さいマルちゃんがスーパーで販売しており
いつも持っていた。
なぜかデナリではアンカレッジより安く売っていたので、たくさん買い込んでいた。
たいてい1~2個を昼食間の休憩で食べていた。
旅の中、調理の手間のかからないインスタントラーメンは有難かった。



さらに20マイルほど進み、Fireweed lodgeというところに着く。
私が使っているガイドブック『Milepost』によれば、食事が出来るようだ。

ただ、開店時間前で開店までしばらく待った。

店は中年のいかにも、といった女性が経営していた。

Traditional Breakfastとコーヒーを注文する。
「どうぞ、これがママの味よ」と料理を出してくれた。
とても感じのいい店だ。

コーヒーのお代わりを頼むと
店の女性は「ここはあなたのホームよ」と言ってコーヒーマシンを指さした。
私は笑ってコーヒーをお代わりした。
とてもくつろぐことが出来、日記を書いた。

店の女性と話す。

近くのClearという街は軍事基地の街で普通の人が行っても何もできないらしい。
日本に帰ってから調べるとロシアと東アジアの戦略的な基地であるということだった。
アラスカにはいろんな顔がある。

Fireweed lodgeからほど近いParks Hwyから少し離れたAndersonというところで
野外フェスのような「Bluegrass Festival」があるらしく、
ここでテントを張っていいから、行ってきたらと言われたが
体調がすぐれないので断ってしまった。今思うともったいなことをした。


Fireweed lodgeを後にし、この日の目的地、Nenanaに向かう。

途中、火事があったのか黒く焼け焦げた森を抜ける。
比較的、最近まで燃えていたのか焦げ臭い。
アラスカ・カナダでは森林火災はしばしばあるらしい。

Nenanaに到着。




ビジターセンターがキャンプ場の受付になっていた。


体調もすぐれないので二泊することにした。


旅はまだ長い。


ビジターセンターの眼鏡の老人に二泊することを告げ、お金を払う。
ランドリーのある建物は番号式の鍵がかけてあるということで解除番号を教えてもらう。
毎日変更しているので、明日の番号はまた教えてくれるそうだ。


Nenanaはメインストリートに数軒の土産物屋とジェネラルストアが一軒、
あとはガソリンスタンド、カフェがあるぐらいだった。
キャンプ場はメインストリートから少し入ったところにあった。



わずかな人口と最小限の店。
Nenanaに来たときは「これがアラスカか」と思っていたが、
その後足を踏み入れることになる極北にこれだけ揃っている街はなかった。


キャンプ場には私のほかに二組の年配の夫婦がいるだけだった。



一組の夫婦と話す。車でアイオワから来たそうだ。
こうして車でアメリカ本土から車でやってくるアメリカ人は多い。
アラスカはアメリカ人にも夢の大地なのだ。

私も聞かれるがままに自分の旅の話をする。

奥さんがお決まりのように私に言う。
「あなたぐらいの頃が一番いいときね」

そう、自由があり、それに見合うだけの若さも体力もある。

だが気が付くと自由に付きまとってくる不安はどうしたらいいんだろうか。
若さと体力だけでは解決できないように思えた。




空を覆った雲は再び雨を降らせた。
その日は簡単に食事を済ませ、寝袋に潜り込むとすぐに眠りに落ちた。


****************
この日の出費


Fireweed lodge 10ドル
キャンプ場2泊分 25ドル

2013年5月6日月曜日

Denali 2006年7月28日


   

キャントウィルをのんびり出発。
この日はデナリ国立公園を横切る。
デナリ付近まで順調に進む。

20マイルほど進んだところで川沿いの小奇麗なロッジがあったので立ち寄った。
まだ昼食には早かったが、テラスが気持ちよさそうなレストランがあったので入ることにした。

レストランは殆ど客がいなかった。
よく考えたらアラスカに来てからちゃんとしたレストランに入るのは初めてだ。

英語がうまく話せない私に店の若い女性がとても感じ良く応対してくれ、
分かりやすくメニューの説明をしてくれた。
旅先でこうした好意に出会うとほんとうにうれしい。

彼女のすすめでbreakfastにする。
アメリカンなbreakfastはとにかくボリューム満点だ。
この先もたびたび食べることになるが、
自転車で旅をしていて、一日中運動していなければとてもじゃないが食べれる量ではないと思う。

彼女が「あなた日本人?他にもひとりで来てる日本人がいるからいっしょに食事をしたら?」というので日本人のいる席へ案内してもらった。


若い日本人の女性がいた。
聞けばその人も私と同じく愛知県の人だという。
しばらくお互いの話をする。彼女はカナダ、バンクーバーで学校のスタッフをしており、
休暇を取ってアラスカを旅しているらしい。

バンクーバーはワーキングホリデーで来ている日本人が多いそうだ。
そういえばニュージーランドの都市もそうした日本人が多くて話すのが面倒だった。
話してもおもしろくないやつが多くてげんなりしたのを思い出した。
そう思うとアラスカはいい。


日本人に会ってもひとかどの人間という人がほとんどで話していても勉強になることが多い。


彼女にレストランでの支払いについて聞く。
テーブルチェックが基本で、アカウントのフォルダにクレジットカードかキャッシュをはさんで
店の人に渡すそうだ。その際に一緒にチップを1ドル程度いっしょに挟むそうだ。
なるほど勉強になった。

日本人の女性と別れ、ついに北米最高峰マッキンリーを抱くデナリへ。

またひとつアラスカに来たという実感が湧いた。



エントランスからしばらく進み、ビジターセンターへ。
世界中からアラスカのウィルダネスに身を委ねたい人々が集まるだけあって
施設も充実していた。


  



デナリ内部には自転車を持ち込めないので
ビジターセンターを後にし、北へ向かう。


デナリのエントランスから北にはたくさんの宿泊施設と土産物屋などがズラッと並ぶ。
ちょっと異様な光景だ。

土産物屋で買い物をしているとテンガロンハットをかぶった太めの男性が話しかけてきた。
自転車で旅をしているのかと聞かれたので「そうだ」と答えると
さらに「ひとりか?」ときかれたので「ああ。by myselfだ」と答えた。

するとおおげざに「おお!君はヒーローだ!」となぜか激しく握手された。
こっちがビックリだ。

ときおりこういう人がいる。






ハイウェイをさらに進み、Healyの街へ。

アンカレッジから248マイル。
この日はここで一泊。

小さなガソリンスタンドが受付になっているキャンプ場に泊まる。
ここはクマの心配をしなくていいそうだ。

なかなか広いキャンプ場だ。
森の中にテントを張る。


リカーショップでギネスを買ったが驚くほどまずく感じた。
くしゃみが出て、熱もあるようだった。
日本から持ち込んだくするを飲み

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この日の出費


食事(ランチ) 11.45ドル
デナリグロッサリー 6.43ドル
キャンプ場 19.35ドル
ロープ 3.5ドル
アルコール 9.5ドル
土産 10ドル

2013年5月4日土曜日

Cantwell RV Park 2006年7月27日

この日はほとんど走りぱなしだったらしい。
あまり日記に記録がない。
写真を中心にお送りする。

Byers lakeを後にして、ひたすら北に向かう。

天気は快晴。緩い登りが続く。
暑いので半袖のレーサージャージとレーサーパンツで走る。


車で行き違う多くの人が
すれ違いざま、追い抜きざまに手を振ってくれる。
私も手を振って答える。
こういうささやかなエールはずっと旅の励みだった。



ハイウェイの脇に生えるアラスカンコットン



この二日間に比べればアップダウンのあるコースで比較的変化があったが
基本的にはまっすぐな道で疲れた。

途中、デナリを一望する公園に出る。





デナリを一望するビューポイントで
このミューズリーのパワーバー食べやすくて美味しかった


道はしばらく谷の上を行く。






山が近くなって川の幅は小さく、深さは浅くなってきた。





Igloo風の不思議な建物を通過。以前は店だったようだ。



アンカレッジからようやく200マイル(約320キロ)

アンカレッジから200マイルを過ぎ、 Middle Fork Riverを越える。
壮大さと美しさに息をのんだ。

ペダルを踏むたびに流れていく風景がなんだが惜しかった。





途中、Broad Passという峠があったようだが、看板もなく、よくわからなった。
アラスカ鉄道を横切ったところで地図を確認すると
峠はそれより前であるようだったからどうやら越えてしまったようだ。

それから1時間ほどで
この日の目的地、Cantwellにたどり着いた。
アンカレッジから210マイル。

腹が減って仕方がないので食事のできるところへ入った。
PACOというミートパイのようなものを揚げたものを食べる。

サワークリームとトマトソースが添えらていた。

おいしかった。

そして一緒に頼んだコーヒーは相変わらず薄い。
クリームにシロップの入ったポーションをくわえて飲む。
甘いコーヒーが疲れた体に沁みる。

近くのストアで酒がないか聞くと数マイル西のほうにいかないと売っていないらしい。
ビールが飲みたいところだったが手持ちのウィスキーで我慢だ。
ポストカードを買って店を出た。


キャンプ場に向かう。
アラスカもそうだが、私が行った海外の街にはほとんどキャンプ場があった。
もちろん、事前にガイドブックでキャンプ場の有無は確認するがだいたいある。
当然、街のはずれにあることが多いが、
アンカレッジの宿のように宿の庭でテントで安く泊まらせてくれるケースも結構ある。

この日泊まったCantwell RV Parkはとにかく広大だった。
空もキャンプ場も広い。日本の倍は長さのあるキャンピングカーが大きく見えない。

入り口ではナイスな木彫りのクマがお出迎え。
ホストのおばさんはとても感じが良かった。
クマについて聞くと「ブラックベアがたまに出るから気をつけて。食料はここで預かるから持ってきて」と言われる。この手の会話は毎日することになる。



テントサイトはRVの停まるエリアの奥で隣は森だった。
クマが来そうで少し怖い。

テントを張り、シャワーの用意と洗濯物を持って受付の建物へ。
敷地が広大なので自転車で移動する。

旅の間、洗濯が出来るときは必ずしていた。
この日もシャワーの後、手洗いで洗濯をした。

洗濯のあと、テントのそばのテーブルで夕食を食べ、
ウィスキーを飲む。

もう午後9時近い時間だったが、まだ白夜に近いころで
昼間と変わらない明るさ。

キャンプ場を抜ける風が心地よい。
友人に手紙を書いた。


****************
この日の出費


食事 11.45ドル
キャンプ場 16ドル
ポストカード 0.5ドル
切手 3.75ドル







旅の間世話になったウィスキー「カナディアンミスト」
残念ながら日本では見かけない。