2013年10月22日火曜日

キーナイ半島の自然 2006年8月16日

北極海を離れてからずっと天気が悪かった。
雨は降ったり止んだりを繰り返した。
 
一説には帰国まで断続的に続いたこの雨は日本からの影響という説があるが定かではない。
 
雨の中、ベトベトのままテントを撤収。朝からいい気持ちはしない。
帰国の時にもこのスピナードホステルに泊まる予定だが、
値段も考えると相部屋の宿泊が無難だ。
 

キーナイ半島の位置


残った日程は三日。
アンカレッジからスワードという街までスワードハイウェイを走ることにした。

今回もアンカレッジ中央部から郊外に出るまで一時間以上かかった。
自動車専用道があったりしてハイウェイと自転車の相性が悪い。
横に自転車道を作れば済む話だと思うのだが、そこまで需要はないのだろう。

スワードHwyに乗るまでそのそばを走るOld Seward Hwyを行く。
アラスカの基準でいえば狭い道路だが、交通量もそこそこで行くにはちょうどよかった。



アンカレッジから続く海。極北の海より穏やかに見えた

道はやがてスワードHwyと合流した。
終日曇り空だったが、スワードハイウェイは大都市アンカレッジから観光地に向かう道だけあって舗装はきれいで休憩所も多く、全てが旅人にやさしかった。



何もなく、荒れたダルトンハイウェイを走った後ではなお更そう感じた。


南部と北部では大きく自然が違う、ということに気が付いた。
どちらも自然が濃いが、北部のそれは、短い夏を必死に生きているのが伝わってきたが、南部のそれはもっと大らかな、豊かな自然がそこにあった。

ビーバーの姿が見えなかったがビーバーダムがあった。

川には多くのサーモンが見られた



花が咲いている。
雨にぬれる淡いピンクのポピーの一輪がとてもうれしかった。


道端に咲くポピー


道は途中からバイクトレイルになる。
キャンプ場の横を通るが、閉鎖されていた。

「Go North Hostel」でニュージーランドから来たジョッシュとメレウィンとクマの話をしていたとき、隣にいた男が新聞を投げてよこして「毎年、一人ぐらいキャンプ中にクマに襲われて死ぬんだ。今年はもうキーナイ半島で一人やられたみたいだから今年はもう大丈夫だろう」とあまり納得のいかない説明をしていたのを思い出した。

キャンプ場閉鎖の看板とともに今年の事故についても書かれており、どうやらこのあたりで事件が起きたことが分かった。

 クマは怖かったが、バイクトレイルの周辺はたくさんのラズベリーが実っており、私は夢中になってベリーを集めた。


袋一杯に集まったラズベリー




ベリー狩りを楽しんだ後はひたすら向かい風と戦っていた。

スピードが時速8枚マイルまで落ちる。

キャンプ場手前のクリーク。淡い乳白色の水が美しくて何枚も写真を撮った
キャンプ場入口の橋から。クリークの水は氷河から来るらしい

夕方五時ごろ、当初の予定していたキャンプ場とは違うがちょうどいいところにキャンプ場があったので今日はここに宿泊することにした。

キャンプ場は1泊20ドルと少し高め。
これまでの相場は15ドルぐらいだからちょっと悩む金額だった。
しかし、これまで泊ったアラスカの民間のキャンプ場と比べてもでもここはかなりよかった。
ニュージーランドのキャンプ場はたいていキッチンスペースで水と火、もしくは電気の調理器具が使えることが多かったが、アラスカではランドリーはあってもそうしたことはほとんどなかった。

調理器具はちゃんと持っていたが、ガスカードリッジ(英語ではgas canister)は昨日宿泊したスピナードホステルのフリーラックに置いてあった誰かの使いさしのものを一個持っていただけだったので、ガスの心配をしないのはありがたかった。
 

キャンプ場のキッチンスぺース

チェックインをしてクマの情報を確認する。
このあたりはブラックベアしか出ないが、用心はしてほしいとのこと。
また、食糧のバッグは預かるので夕食が終わったら持ってきてほしいと言われる。
朝は早く食糧を取りに来ても大丈夫らしい。

途中で採ったベリーを見せて念のため食べられる種類か聞くと、ラズベリーとサーモンベリーで問題ないと教えてくれた。


天気は曇りだったが、風があったので今朝ドロドロのまましまったテントを乾かしていると風で飛んで行ってしまい、あろうことか水たまりに着水した。


一日走った後の疲れと相まって、かなりぐったりしたが30分ほどかけてテント全体を何となく乾かした。


私がテントで苦戦している間にファイアーピットにオーナーが焚火を起こしてくれた。
写真で見ると小さいがこのファイアーピットはかなり大きく、オーナー入れてくれる薪がまた大きかった。実にアラスカ的だ。


当日の日記を引用する。
「今、焚火の前で日記を書いているが、実はかなり寒い。吐く息が白い。でもいい時間だ。このままずっといたい。」


実際、フリースを来て、ウィスキー片手に焚火の前に座っていた。そうしていないと寒いのだ。


寒い。でもこの心地よさはなんだろう。
焚火の前にいる。ゆれる炎と時折はじける薪を眺めていると時間を忘れる。
他のキャンパーがたまに通るが、私が自分の時間を過ごしているのを理解してくれるのだろう、「ハイ」と軽く声をかけてくるだけだった。



日本にはなかなかない、静かなキャンプ場。
焚火が気軽にできるキャンプ場は皆無に等しい。
こうやってパブリックスペースにすればいいのに。

もっとも、アラスカのキャンプ場には日本のキャンプ場にない「BEAR WARNING」の看板があるのだが。。


2013年10月16日水曜日

Alaska Railroad 2006年8月15日

旅のスタート、アンカレッジまで戻ることになった。
帰国までの数日間、キーナイ半島で過ごすためだ。

フェアバンクスからアンカレッジまではアラスカ鉄道で移動することに決めた。

バスと飛行機という手段もあったが、
ニュージーランドから帰国する際、
南島の西海岸の果てHaastというところからQueenstownに移動する際に
激しい車酔いに襲われた記憶が新しく、丸一日のバス移動は乗り気になれなかった。
また、飛行機はコストが高いのと自転車の梱包が面倒なのですぐに選択肢から消した。


アラスカ鉄道のBordingPass
いや、それより何よりアラスカ鉄道に乗ってみたかった。


私は鉄道マニアではないが、鉄道の旅は昔から好きで
国内でも学生時代には夏と冬の18切符を使い切るぐらい輪行していた。

とはいえ、アラスカ鉄道に乗るというのは
アラスカに行ったらやりたいことリストではあまり上位ではなかったが
これは経験することができてよかったと思う。


フェアバンクス発アンカレッジ行きは
フェアバンクスを8:15に出発し、終点アンカレッジ到着は20:00。

丸一日の旅だ。


Fairbanks駅


駅のエントランスで


 フェアバンクスの駅でチェックインをする。
自転車は別料金がかかった。ただ、そのまま載せてくれるので面倒がなくていい。


 


列車が走りだした。
日本の列車に比べると走る速度がのんびりだ。

470マイル、750キロを12時間かけていくのだからのんびりだろう。

距離からすれば東京~岡山ぐらいで、
実際新幹線を使わないで行くと同じぐらい時間がかかるようだが
駅の数がそもそも違いすぎる。
アラスカ鉄道は10駅程度しかない。



正直、はじめは遅いと思ってしまったが、日本の鉄道の速さが異常なのだろう。
アラスカ鉄道が観光鉄道ということもあるから当然ゆっくりというのもあるかもしれない。
日本の社会は急ぎすぎだ。

屋根がガラス張りの展望車両


アラスカ鉄道はフェアバンクスからデナリを通り、アンカレッジに至る。
つまり、私がアラスカの旅の前半で走ったパークスハイウェイをほぼ並走するルートだ。
しかし、ときおり現れる建物群がどこの街かわからなかったりすることがある。
鉄道とハイウェイの旅では見え方が違うものだなと思った。



鉄道の旅にアルコールはかかせない

しばらくしてビールの栓をあけた。
これまでの旅について振り返った。

ダルトンハイウェイを走破して、何だがいまいち実感がない。
変な感じだが、実際そうなのだ。

旅の困難をいくつも思い出す。
本当にガムシャラだった。

ただ、北極海へデッドホースに辿り着くことだけを考えて前へ前へ進んだ。
それだけだった。
日本に戻った後、こんなに単純にガムシャラになれるだろうか。

答えは出るわけもなく、車窓を流れていくアラスカの景色を見ながらバドワイザーを飲んだ。


車掌の若い女の子と乗客の老夫婦の会話が耳に入った。
多くのアラスカ鉄道の社員はアンカレッジかフェアバンクスに住んでいるらしい。

また車掌にはアラスカ鉄道の懐中時計が支給されるらしく、
車掌の女性は懐中時計を掲げて見せてくれた。
なんだかうらやましい仕事だな。

ふと冬のアラスカ鉄道にも乗ってみたいと思った。



列車がアンカレッジに着いた。
白夜が終わったとはいえ、アンカレッジは午後8時でもまだ日暮れといった感じだ。

初日と同じスピナードホステルを予約してあったので自転車で向かう。


途中、自動車専用道路を避け自転車道を行くが途中で道がなくなる。
階段をなんとか自転車を押して降りていくと 公園に出てた。


そこでムースの親子に出会った。



 さすがだな。
大都市の真ん中でムースが普通に木の葉っぱを食べている。

この時間の迷子には参ったが、おかげでいいものを見ることができた。
これで出会っていない大型動物はブラックベアとジャコウウシぐらいだが、
ブラックベアには会わなくていいな。


少し迷子になったもののスピナードに到着。

スピナードでは今回、部屋ではなく、
庭のキャンプサイトに泊ることにしたが
地面が泥でテントが汚れてしまった。これで19ドルは高い。
帰国前は前のように相部屋を取るべきだな。


少し天候がよくないが明日からのキーナイ半島の旅を楽しむことにしよう。



2013年10月13日日曜日

再会と出会い 2006年8月13日~14日

Fairbanksに滞在した二日間、記録がほとんど残っていない。
あいまいな記憶を探りながら書くことにする。

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朝早く、渡辺さんはネーチャーイメージの牧栄さんに連れられて旅立って行った。
良い旅を。
渡辺さんはこのあと壮絶な旅をすることになる。
詳しくは渡辺さんのブログで
 http://yukon780.blog.fc2.com/category13-2.html


アリーとレオは朝早く帰国の途に就いた。
老練のサイクリストたちは笑顔で去って行った。
私もあんなふうに自分より若い異国のサイクリストに笑顔で話しかけ、
さりげなく励ますことができるだろうか。


私はダルトンハイウェイから戻った後のことをほとんど考えていなかった。
帰国のフライトは8月20日。

まだ1週間ある。
「Go North」のキッチンに少々高いがカヌーツアーの案内があったので
電話してみるがつながらない。一応留守電を残す。


どうしようか。


帰国はアンカレッジからなのでどのみちアンカレッジには戻らなくてはならない。
一週間で東のリチャードソンハイウェイ回りで自走でもどるか、バスを使うか、
はたまたアラスカ鉄道で一日かけて戻るか。
何も決まらぬまま時間だけが過ぎた。

ワイズマンの宿で作った食事。鮭をフレークにしてご飯に載せた



その日、また「Go North」に日本人がやってきた。
キッチンで出会ったその人は写真家の松本茂高さんだ。
〔松本さんの写真ブログhttp://shige0504.blogspot.jp/ ホームページhttp://blog.spiritbear.jp/〕

聞けば、mont-bellのカタログや『カヌーライフ』に写真が載っているらしい。
すごいな。


松本さんはザックから小袋に分けられた食糧をとりだしながらそんな話をしてくれた。

些細なことだが、きちんと小分けされたふりかけや調味料を見て
松本さんが本当に旅慣れた人だとすぐわかった。

衣食住を背負って旅をするには、荷物のパッキング術というのも非常に重要である。
どこに何が入っているのか、重さのバランスがいいか、きちんと分けてあるか、など。

そうした基本をちゃんとやっていくことが
疲れた時に食事を作る時などにも体への負担を少なくし、トラブルを軽減させることになる。

食糧を小分けにしたりするのは面倒だが、重要なことでもあるのだ。


アラスカやカナダを何度も訪れているという松本さんはいろんなことを教えてくれた。

アラスカの北部は火災が森を育て、南部は風、倒風木が森を作ること、
カリブーや狼の季節移動にも南北の風土の違いが見て取れること

南北の異なる世界がアラスカという一つの統一的な自然を形成しているということ。


松本さんに私があと一週間時間があると相談するとアンカレッジの南、キーナイ半島を薦めてくれた。
移動時間などを考えてもちょうどいいかもしれない。
キーナイ半島に行く方向で動き出した。

アンカレッジの道端で。夏のアラスカの街は驚くほど花が多い。


午後から買い物へ。
ビーバースポーツという大型のアウトドア用品の店に行く。

うわさには聞いてたがほんとうに大きな店だった。


ビクトリノックスのVoygerというモデルが37ドルになっていたので購入。
それからダルトンハイウェイで失くしたサングラスの代わりに
新しいオークリーとケースも購入。このケースはいまだに現役である。

ビーバースポーツをうろうろしていると見覚えのある男とすれ違った。
Coldfootでガスカードリッジをくれた男だ。


お互い、顔を見合わせ、次の瞬間大きな声を出した。


「ワオ。元気だったか。ガスは役に立ったか。無事に北極海まで行ったのか?」
 彼は矢継ぎ早に話し出した。

これから彼は東回りでアンカレッジまで自転車で行くという。

私は無事にデッドホースまで行ったこと、
ガスはおかげで十分足りたことを伝え、何度もお礼を言った。

となりにいた新しい相棒を紹介してくれた。
こちらで知り合った男らしい。
こういうのも楽しそうだ。

アラスカは人がいる場所は限られているとはいえ、
こんなことがあるなんて感激だ。

結局、彼の名前は知らない。だが、彼のことは一生忘れないだろう。

左がフェアバンクスで再会を果たした男。彼はいま何をしているだろうか。



ダルトンハイウェイへ向かうとき、人生のアドヴァイスをくれた日本人女性に会いに
インフォメーションに行くが、今日は不在。休みらしい。
今日は日曜日だ。

日本に北極海から無事に帰った報告をメールでしようと図書館に向かうが、
当然のように休み。

だが、さすがに日本のカレールーまで扱う超大型スーパー「フレッドマイヤー」は
ちゃんと営業していた。

晩御飯にクラムチャウダーを作ることにし、ベーコンなどを買う。

「Go North」に戻り、夕食にクラムにチャウダーを作る。
見た目はマズマズの出来だったが、ベーコンの脂がよくなかったのかしつこくなってしまった。


さしてうまくないスープをも飲みながら、
そろそろ帰国を考えて残りの食糧などを計算しなくてはならないなと思った。
帰国まで一週間だ。




夜、松本さんとKさんと焚き火を囲む。
一時、日本のうまいものトークになってしまったが、
松本さんの過去の旅のことやフォトグラファーとしての暮らしなど
いろいろな話が聞けた。

アラスカを人生の基軸に据えて生きる人の話を聞くことができて心が震えた。 
本の中の出来事でしかなかったことを実際にやっている人がいる。
私は人生を自分の力で切り開いている人に会って心から尊敬の念を覚えた。

帰国後、松本さんにメールを送ると次にような返信をくれた。

「ブルックス山脈を10日間縦走しました。
トレイルも何も無い山域を藪漕ぎしながら進んでいくとてもハードな旅でしたが、
身も心も洗われる素晴らしい旅となりました。」
 
ブルックスに独りで入っていく。
私はその苦労を想像する一方でとてもうらやましく思った。 
 
フェアバンクス郊外のパイプライン
翌日、 再びインフォメーションセンターに行き、
恩人の日本人女性と会うことができた。
彼女は前に来た時ほど多くを語らなかった。

彼女は北極海まで行ったことへの賛辞を口にして少し話したが
しばらくして彼女はほかのお客に呼ばれて行ってしまった。
彼女にには私がもうなんとかやっていけることがわかったのかもしれない。


 
インフォメーションで私は明日のアラスカ鉄道を予約した。
松本さんと話してアラスカでの数日間を南部のキーナイ半島を旅することにしたからだ。
明日、鉄道でアンカレッジに戻り、そこからキーナイ半島をスワードまで行き、
再びアラスカ鉄道でアンカレッジに戻り帰国の途に就くことに決めた。 

 
その後図書館へ行き、日本へ生存報告と帰国時の迎えのお願いをした。
幸い大学時代の後輩が快諾してくれセントレア空港まで迎えに来てくれることになった。
自転車があるとおいそれと帰れず何かと不便なのだ。
 
それから『Milepost』のコピーをとらせてもらう。
私の発音が悪くて『Milepost』が伝わらず、
紙に書くと「あぁ」と図書館の人はすぐに持ってきてくれた。
ホント英語力なんとかしなきゃな。 
 
ダルトンハイウェイのヤナギラン群生地
 
「Go North」に戻るとオフィスの人が
「おお、日本人のサイクリストは君か。カヌーツアーのことで電話があったから
電話かけてやってくれ」と教えてくれた。
 
 
カヌーツアーのところへ電話し
「今回は予定が合わなくなってしまったから、
次にアラスカに来るときにはまた連絡するよ」と伝えた。
 残念ながらまだ「次」が来ていない。

「次」はぜひ家族で「Go North」に宿泊し、カヌーツアーに行きたいものだ。