2015年12月18日金曜日

旅の終わりにまた旅を想う 2009年1月6日

帰りの飛行機が出るのは夕方。

まだ自転車の梱包をしなくてはならないが、そこまで急がなくてもいい。

朝はゆっくり食事をし、宿をチェックアウトするとまずは昨日の自転車屋に向かった。

自転車屋に続く坂道を登る。


自転車屋のドアを開けるとスキンヘッドのオヤジが私の顔を見て、
一瞬、「何だ?」って顔をしたが、
すぐに思い出したようで"bikebox!"と言った。

なんとなくそうだろうなと思ったが、
予想通り、GIANTの段ボールが出てきた。

段ボール代はいいと言うので、土産にGUのエナジージェルをいくつか買った。
まだ日本に入っていなかったものだ。
こういうのはあまり高くなくて、サイクリストたちにはいい土産になる。

スキンヘッドのオヤジに礼をいい、店を後にした。

一旦、インフォメーションセンターに行き、もらってきた段ボールを預けた。

それから海に向かった。海に行って見たいものがあった。

それはオーストラリア本土メルボルンとタスマニアを結ぶフェリー"Sprint of Tasmania"だ。

せっかくの機会なので乗ろうかとも検討したが、
本土とタスマニアの間のバス海峡は潮の流れが激しく、フェリーはよく揺れるらしかった。
ニュージーランドの北島から南島に渡るフェリーで酷く船酔いしたのを思い出してやめてしまった。
今思うと勿体無い。

海に出るとタスマニアらしい強風が海を渡って吹き付きけてくる。



何度こうした風に悩まされただろうか。

帰国して随分になるが、強風の日に自転車に乗ると、ふとタスマニアを思い出すことがある。
そして、そのたびに「タスマニアに比べたらマシだ。」と思うのだ。




海沿いの道はとても明るくて気持ちがよかった。






もしかしたら今日は停泊していないかと思ったが、幸い"Sprint of Tasmania"、
港に停泊していた。


あれで本土からタスマニアに渡って来たらワクワクするだろうな。

立派な船体だ。

昔、フェリーで北海道や四国に渡ったときのワクワクを思い出した。


昼食を食べるため、モリーマローンズへ戻る。

宿の方ではなく、宿の下にあるバーの方だ。



昼間のバーはすいていた。


ランチはサーモンのソテーを注文した。
そしてお供はアイリッシュバーではお約束のキルケニー。



食事とアイリッシュビールを堪能すると今回の旅を振り返ってみた。

 

一番の問題はやはり英語であった。


いつも困ったときには誰かが助けてくれた。
当たり前だが、知らない誰か。
あるときは同じ旅人であり、またあるときは通りすがりの人。

そんな人ともっと上手に話がしたかった。


それから、旅ということについて考えた。

今回、出会った多くの旅人達は、放浪を続けている人よりも
日常から少し離れてやってきた人が多かった。
それはこのタスマニアという土地の性質かもしれない。
 長い旅、というよりはきっと長い休暇、という人が多かったと思う。


日常の延長線上にある、非日常。
それを休暇と呼ぶのか、旅と呼ぶのかは、その過ごし方によると思う。

ただ、その素晴らしい時間を過ごした後、みんな日常に帰っていく。


日常の延長にある旅。


キルケニーが1パイント空くころ、次の目指すべき地平が見えた気がした。



モリーマローンズのそばのリカーストアで土産のスパークリングワインを探した。

東海岸のBay of fire で飲んだスパークリングワイン"Kreglinger"が印象的だったので
どうしても土産にしたかった。

無事にKreglingerを手に入れ、 インフォメーションセンターに戻る。

空港までのシャトルはここにに来るので、
インフォメーションセンターで自転車の梱包を始めた。

あまり重いものを調子に乗って段ボールに詰めると
また飛行機のチェックインで追加料金を取られかねないので、
考えながらGIANTの箱に自転車とキャンプ道具を詰めた。
ここは前回アラスカの帰りで3万円余分に払った痛い経験が生きた。
昨日土産に買ったカッティングボードがなかなかの重さだったので、手荷物に回した。

後の話だか、空港の手荷物検査で女性の職員に「これ何?絵?」と言われ、
「カッティングボードだ」と答えて不思議な顔をされた。そりゃそうだよな。

手荷物には寝袋を入れるのを忘れなかった。
今日はメルボルンまでの移動で、
明日が国際線のフライトなので、空港で一泊しないといけないからだ。

何とか梱包を終えると、荷物を再びインフォメーションセンターに預け、少し歩いた。
ネットカフェを見つけて入る。

日本への最後の連絡をし、マフィンを食べ、コーヒーを飲んだ。
現金の残りはもうわずかだ。

再びインフォメーションセンターに戻り、シャトルバスを待つ。

時間より早く着いてまっていたが、時間になっても当たり前のようにシャトルは来ない。
フライトに間に合うかと心配になり、自分の心配性に笑えてきた。

予定よりずいぶん遅れてシャトルが来た。

「間に合うのか」とドライバーの女性に聞くと
「何時のフライト?大丈夫よ!」と自信満々で笑った。

シャトルが走り出し、車のスピードで景色が流れていく。
いつもと違う速さでながれていく景色を見て、旅が終わることを思い知らされた。


空港でのチェックインはすんなりいった。
窓の向こうで自分の自転車が積み込まれるのが見えた。





歩いて飛行機に搭乗すると、ほどなく飛行機は飛び立った。


しばらくしてワインをもらった。
ワインを飲みながら、物思いに耽った。



思えばいろんなことがあった。


いつも行く先にあった激坂の上り

旅を始めて3日目に襲われた腹痛

行く先々で出会った老練なサイクリストたち

フレシネ国定公園のアモス山から見たワイングラスベイ

"favor"という言葉の意味

車に轢かれたフェアリーペンギン

長い上り坂と向かい風の後に街が見えたときの喜び

焚火にかけてあったお湯をくれたグレッグとスー、それからかわいい犬のミッチー

ウェストコーストの寒い日々

雨に降られて、心が沈んでしまったときに知らない人とジェイムズテイラーを歌った大晦日

ヘンティ砂丘の年明け

美しい風景の中に自分がいることに気が付いた瞬間






素晴らしい旅だった。






機上から窓の外に目を向けるとオーストラリア本土の半島が見えた。

あの半島から見える景色はどんなだろう。

晴れの日はどんな感じだろう。
雨の日はどんな感じだろう。
風の日はどんな感じだろう。

果たして私がたどり着くときは、どんな感じなんだろう。

一本の道さえあれば、一台の自転車さえあれば、私たちはどこまでも行ける。



旅は終わらない。



このタスマニアの旅は終わってしまうけれども、私はまた旅に出るだろう。



日本かもしれない。海外かもしれない。アフリカかヨーロッパか。またアラスカか。

自転車で行くかもしれない。車かもしれない。ヒッチハイクかもしれない。

30代か、60代か。

今回の旅で私はまた自由になった。

旅に出たい、この気持ちさえあれば、いつでも旅に出られる。
もう焦る必要はない。歳も時間も関係ない。

自分が旅に出たそのときにしか出会えないものが
いつもそこにあるということを知ることが出来たから。


タスマニア編          完



2015年12月9日水曜日

Gone Riding 2009年1月6日

帰国まで3日。今いるシェフィールドから最後の滞在地になるDevonportまでは
わずか30キロほどしかない。
ふつうに2時間見ておけば問題ない距離だ。

残された時間をどう使うか。

デボンポートに到着すれば、お土産を買ったり、
帰国に向けた準備を始めることになるだろうから、
時間の許す限り、ゆっくり過ごそうと決めた。


周辺の小さな街を回りながら、デボンポートを目指す。


まずは、トピアリーが有名だというRailtonへ。

トピアリーってなんだ?と思って『Lonely Planet』を見るが
説明を読んでもよくわからない。


街の入り口の看板を見て、やっと理解。
植物で動物とかの形を作るやつのようだ。

民家の庭先にそれらしいものがいくつかあった。


ワイヤーで樹木を動物をかたどったりして作るものらしい。

トピアリーの街、と言う割には、そんなに数がなかった気がする。。
私のまわり方が悪かったか。

まだ生育中の作品もあった



トピアリーは眺めていてなかなか楽しかったが、ほかに見るものもなく、
街を一回りするとレイルトンを後にした。

シェフィールドもそうだったが、こじんまりした街で少しいくとすぐ町の外に出てしまう。
小さい街はなんだか親近感が湧く。


次の街は、Latrobe。
ここはぜひ行きたいところがあった。
Anversという会社のchocolate factoryがあるのだ。

ラトローブについたが、まだ早い時間なので
図書館でネットを使い、日本に連絡を入れた。

料金は1時間で数ドルだったと思うが、
管理してる兄ちゃんは別に時間を計るわけでもなく、
終わって帰るときに「どのくらい使った?」と聞いて、お金を払っておしまいだった。
ゆるい感じがいいな。


お腹が空いてきたので、少し早いが昼食をとることにした。
「Cafe Gilbert」という店に入る。


メニューを眺めて、today's specialを注文した。
実は海外で今日のおすすめを注文するのは初めてだったりする。


魚がメインのランチ。15ドル。
カプチーノはマグサイズで4ドル。

日によっては一日の生活費だな。帰国間近になるといろいろ緩くなってくる。

ランチはワンプレートで足りるか心配なボリュームだったが、
食べてみれば、まあボチボチの満腹感。

味も非常によく、タルタルソースをグラスに入れて添えるのも斬新だなと思った。
この盛り付けはうちでも使えるアイディアだ。




カフェで空腹をそれなりに満たし、アンバースのチョコレート工場へ。

アンバースへは少し迷った。

工場は思ったより小さく、見学できるのは、
デパ地下の実演販売をちょっと大きくした程度しかなかった。

こちらは観光客向けのデモンストレーションで工場自体はもっと奥にあるのだろう。


まあいい。

さてさて、甘いものを食べなくては!


カフェスペースでショーケースの中をゆっくり回るケーキを しばらく眺める。


決められない。。。






悩んだ末、ブルーベリーチーズケーキとチョコミントチーズケーキを注文した。



なかなかのサイズのケーキ。私の手よりちょっと小さい程度か。



味はなかなかいい。うまいじゃないか。
むっ、若干甘いか?いや、だいぶ甘い。

ブルーベリーのほうは日本でもありそうだが、
チョコミントチーズケーキは日本ではお目にかかれないケーキだ。
ミント感よりチーズ感が強かった。

私は年中ミントチョコを食べているが、おそらく、このころからよく食べるようになったと思う。


ランチを食べたばかりだが、なんとか二つとも食べきった。

さすがに毎日朝から晩まで自転車で走っていると、
どこまでもお腹が空いてしまう。

ケーキを完食し、コーヒーを飲んでいると、
隣のテーブルに30歳ぐらいの日本人女性が二人やってきた。

かなりエグイ女子トークを展開したあと、
ケーキのサイズと甘さに文句を言いだしてかなり鬱陶しかった。

クドくて甘いのなんて当たり前だろ!文句言うなら食うな!と一人で思ってしまった。


こちらをチラッと見て、「日本人?」と思ったようだが、
旅の前半に東海岸の強烈な日差しに焼かれた黒い肌と、
レーサージャージ&パンツという格好に日本人かどうか判断つかなかったことだろう。



ケーキを満喫したあと、工場の直売コーナーでチョコレートファッジを5箱買う。
試食したが、これまたおいしい。



帰国したらだれかにくれてやろう。



アンバースのチョコレート工場からデボンポートまで10キロほどだったが、
もはやおなじみ著となったタスマニアの激坂と強烈な向かい風で
なかなかデボンポートに着かない。

下りでスピードを確認すると、わずか時速12キロ。

進まないわけだ。


大きな橋を越え、デボンポートに入る。



橋から見る海が美しい。

デボンポートは水俣と姉妹都市らしい
橋から国道を離れて、川沿いに進むとビジターインフォメーションセンターがあった。
ここで空港までのバスを予約した。10ドル。

自転車分の追加料金が取られないようだ。よかった。
ニュージーランドでは、後で追加料金取られたのだ。


手持ちの現金が10ドルないので困っていたが、それは宿で解決した。

今回の旅の最後の宿は”Molly Malones"。

当初、日本からバックパッカーを予約しようとしたら
そこが改装中で予約できなかったため、旅行中に予約したのだ。

ストローンに滞在中、『Lonely Planet』を見ていて見つけたのがここだ。
同名のアイリッシュバーがニュージーランドの首都ウェリントンにあり、
印象が非常によかったので、ここに決めた。

ちにみにモリーマローンはダブリンを代表する歌の名前らしい。


デボンポートの中心にあるモリーマローンズ。一階はアイリッシュバー


到着するとチェックインでデポジットととして10ドル支払いをしたが、
クレジットカードで対応してくれた。
チェックアウト時は現金で返金してくれるという。助かった。


宿はやや安っぽい感じではあったが部屋は悪くない。


自転車は室内に置かせてくれた

自転車は中でいいと言われたので、遠慮なく自転車を室内に入れた。

行きたかったが行けなかった場所、北東部の「The Nut」

壁にかけられた写真を見るといきたかった場所だった。

今回の旅で心残りがあるとすればこの"The Nut"であろう。



まだ日が高いので、宿に荷物を置き、街をブラブラする。



宿のすぐ前にショッピングモールがあり、
キッチンを品の店でカッティングボードチーズナイフ買った。

ほとんど使っていないカッティングボード&チーズナイフ。そしてさっぱり切れない包丁



それからよくお世話になるスーパーのウールワースでピンク色のお菓子を買う。
あと感じのいい包丁を安く見つけたのでそれも買う。

ただ、帰国後それを使ったが、包丁は全くと言っていいほど切れなかった…


帰国に向けて、自転車を飛行機で運ぶため、
自転車の入る段ボールを手に入れる必要があるのだが、
自転車屋を見つけることができず
インフォメーションセンターに戻り、場所を聞いた。

自転車屋へ向かう坂道


自転車屋は丘の上の街にあった。




GIANTをメインでやっている店らしい。

店はあまり大きくなかったが、商品がよく整理されていた。
スラムのコンポがたくさん置いてあり、日本との違いを感じた。

店内に吊られたロードのフレームに目がいく。
新しいTCR ADVANCEだ。友人がオーダーしているのと同じだ。
BB周りがかなりしっかりしている。
今でこそ、剛性を上げるためにBBまわりが肉厚になっているのは珍しくないが、
当時としては革新的だったと思う。
マジマジと見入ってしまった。

スキンヘッドの感じの良いおじさんに
自転車用の段ボールを欲しいと言うと、
少し考えた様子で
「今はないが、明日なら用意できる。明日の12時までに来てくれ。」と言われる。
明日はデボンポートカップがあって道が閉鎖されるそうだ。

「Twelveね、」と繰り返すと、君は若いから大丈夫だ」みたいなことを言われる。

どういうことだ?寝坊するとでも思われたのだろうか。

段ボールは無料でいいらしい。

この店がいいなと思ったのは営業時間。

平日は午後5時半までの営業で、日曜日は「Gone Riding」と書いてある。




午後5時半で店を閉めることができるタスマニアは素敵だ。
この時間なら、店を閉めてからでも、十分走りに行ける。

日曜日が休みではなく、"Gone Riding"というのがいいじゃないか。
日本の自転車屋もこんな風に出来るといいのに。


自転車屋の周辺も店が立ち並んでおり、
いくつか店をのぞく。

ニュースエージェンシーで絵葉書を買い、店のおばさんと話す。


デボンポートカップは馬のレースらしい。
てっきりヨットのレースかと思っていた。

自転車でタスマニアを回って明日帰国だと言うとおばさんは驚いていた。
いやいやそんな奴この辺にごろごろしてるよ。
私はそう思い、苦笑した。

宿へ戻る道すがら、自転車以外の荷物を送るための段ボールは
スーパーマーケットでもらってきた。



宿に戻り、キッチンで食事を作りニュースを見る。

テレビをつけると連日、ニュースでやっているイスラエル問題を放送していた。
もっとも私には詳しい内容はわからないのだが。

キッチンでくつろいでいると、日本人の女の子がやってきた。
少し話したがあまり考えずにタスマニアに来たようだ。
話していることが中途半端過ぎて、話すのが嫌になってしまった。大丈夫かなこの子?

いつものパスタとタスマニア産ビール「カスケードドラフト」


宿のキッチンでこうして普段通りビールを飲みながら日記を書いていると、
まだこれからずっと旅が続くんじゃないかという気がしてくる。

明日の朝6時ごろには目が覚めて、朝の支度をし、8時ごろには出発して、10時には腹が減り、ランチまで我慢できず何か食べたりしちゃうんじゃないか、そんな気がしてしまう。

この日々が終わってしまうのか。

空になったカスケードドラフトの缶を持ち上げつぶやいた。

「お世話になりました。カスケードドラフト。」




2015年3月17日火曜日

Sheffield 2009年1月5日

朝、テントの外に出ると、昨日ほど快晴はないが、悪くない天気。

旅の最大の目的地であったクレイドルマウンテンも満喫出来て良かった。

チェックアウトするため、テントサイトにぶら下げていた名札を受付に返却する。

精算してもらうと、2泊で30ドルでいいという。
ラッキーだな。

予約の電話からチェックインの対応までしてくれた感じのいい女性は残念ながら不在だった。
記念に一枚写真を撮りたかったのだが。

受付の建物にあったパソコンでメールが来ていないか確認する。
知り合いの小学生とフレシネ半島で会ったヒロキくんからメールが来ていたが、
文字化けして読めなかった。


さらば、クレイドルマウンテン。
少し曇った空の中、走り出す。




もう少しでこの旅も終わりなんだ、と思うと少しさみしい。


クレイドルから北に進むにつれ、気温が上がってくる。
この10日あまり、ずっと冬のような恰好をしていたが、タスマニアは今、夏なのだ。

昨日、キャンプ場から実家に電話したところ、
「こっちは気温5度だ」というと、それは日本より寒いと言われた。
全く、どっちが冬なのかわからない状態だった。


冬物のサイクリングジャージを脱ぎ、半袖になる。
これほど日差しを浴びて走るのは、いつぶりだろうか。
Tamar Valleyあたりか。


寒冷な地域から離れていくのを体で実感する。
道が下りになり、ガンガンペダルをふんでいると、
私を追い抜いた一台のセダンが路肩に停まった。


「何だ?」


車からカップルが下りてきた。Tullaの宿で会った人たちだ。
女性の方の顔を見て思い出した。

宿のキッチンでピールやワインを飲みながら
ニュージーランドの話などをしたな。

旅人同士、こうしてまた会って、少し話しするだけでもうれしいものだ。


こういうことも旅が終われば、もう無いんだなと思うと寂しかった。


カップルと別れ、Gowie Parkという集落へ向かう。


今度は上りがガンガン来る。
タスマニアの道は長い周期のアップダウンが続くことが多いが、
この道は珍しくひたすら上ってサミットに行くパターンだった。


けっこう斜度がきつく、腰が痛くなってきた。
上っていくと、地元のライダーだろうか、たくさんのサイクリストが下ってきた。
このあたりだとDevomportあたりの人が走りに来るのだろうか。









峠を抜け、Gowie Parkへ。

分岐で悩むが、ずいぶん腹も空いてきたし、上らない方へ向かう。

Gowie Parkはキャンプ場とバックパッカーがあるだけで、
食事出来る店が無く、何も食べられなかった。

空腹で少しいらだってきたが、手持ち最後のインスタントラーメンを食べてしのいだ。


簡単な昼食を終え、走り出すと
いつしか周囲は淡い緑の草に覆われた丘陵地帯になっていた。


丘を抜けていく風が心地よい。


ときおり、強烈に吹いてここがやはりタスマニアであることを思い出させる。


気持ちがよくて、ペダルを踏む足に自然と力が入る。


気持ちよく丘を抜けると、Sheffieldの街に着いた。








シェフィールドは街の至る所に描かれた壁画が有名だ。
後に調べたところ、1970年代に人口が減少し、
その際に観光の呼び物として描かれるようになったそうだ。




インフォメーションで宿を聞くと、キャンプ場もバックパッカーもなく、
普通のホテルしかないらしい。

やはりか。『Lonely planet』にキャンプ場が書いてないということは、
つまりそういうことだった。

インフォメーションの人によるとバックパッカーならゴーウィパークが最寄で
キャンプ場ならデボンポートだという。

戻るのも面倒だし、デボンポートは帰国準備をするために
もう明日から宿を抑えてあるから、無理に行きたくなかった。

 

結局、インフォメーションでバーの2階にあるホテルを紹介してもらう。
宿は45ドル。高いが仕方がない。

バーで支払いをしてチェックインする。
タスマニアはこの手の宿が多い。
宿に関して言えば、ニュージーランドよりイギリス色が強いようだ。

宿自体は悪くない。部屋に荷物を置いて、街に出た。




昼食をちゃんと食べていなかったので、ベーカリーカフェを見つけて入った。



午後ということもありもうあまり商品が無かった。

よくわからない名前のパイとカプチーノを注文する。
おばさん二人でやっている感じのいい店だ。

  


ほかに客がいないな、と思いながら日記を書いていると、
店に人に閉店だといわれる。

そうか、ベーカリーだもんな。


  


ベーカリーを出て歩いて、街を歩いて土産ものを買ったりする。


デボンポートから近いからだろう、
小さな街の割に土産物屋がいくつかあった。

街の目抜き通りは少し歩けば
すぐ端まで来てしまう。

こういう普通の街が好きだ。



歩いているとなんだかだるくなって
宿でしばらく横になった。


夕方、この街で有名なジェラート屋へ行くが、
機械の調子が悪いらしく,ジェラートは売っていなかった。

ここは一緒にチャイニーズのテイクアウェイをやっていたので、晩御飯用にチャーハンと春巻きを買う。
そろそろ米が食べたかったところだ。

宿に帰り、バーでビールを買って、
ビールを飲みながらチャーハンを食べる。


チャイニーズのテイクアウェイはたまに使っていたが、今回のはびっくりするぐらい不味かった。
自分で塩を振り直し、かきこんで、ビールで流した。

窓からシェフィールドの街を見る。

まあ、こんなこともあるさ。

明日はいよいよ、最後の街デボンポート。このタスマニアで走るのは明日が最後だ。