2013年7月10日水曜日

Coldfoot 2006年8月6日

朝、シャロンの車で目が覚めた。
運転席でも十分広かった。少し背中が痛いがよく眠れた。

外でビクビクしながらテントを張らずに済んでよかった。


外はとてもいい天気だ。


シャロンが出てきたのでお礼を言う。

今日はシャロンは友人とここで会う約束をしているらしく、すぐには出ないそうだ。
私が自転車のメンテナンスをしていると珍しそうに写真を撮っていた。


アークティックサークルの前で写真を撮っていると、
シャロンは私のフィルムカメラで一枚撮ってくれた。



「フィルムのカメラなら任せておいて!」
シャロンは嬉しそうに笑った。
シャロンに再びお礼を言い、走り出した。


ダルトンハイウェイはアークティックサークルからしばらく舗装路になる。
正直、この区間はかなり助かった。
ただ道は相変わらずアップダウンというよりアップのほうが多い気がする。

きつい上りが4本。
今後はこれよりきついのがあるぐらいに思っていないといけないかもしれない。
ブルックス山脈を越えるAtigun Passはこんなものではないだろう。




昨日はときおり雨に降られるような天気だったが、今日は打って変わって快晴。

本当に気持ちがいい。


日射しは強いが吹き抜ける風は冷たい。
 

なぜか橋の上に置いてあった未開封のビール。天の恵みだ。有難く頂いた。



もうここは北極圏の中なのだ。


上りも多こともあったが、
とにかく景色が良くて写真ばかり撮っていてペースが上がらない。



ハイウェイ上にときおり落ちている棒。道幅を示すものらしい。抜けて放置されたものをもらってスタンド代わりにした。調子よし。


ダルトンハイウェイの終り、デッドホースまで244マイル。



随分来たんだな。


今日の目的地のコールドフットに到着した。

街の手前のビジターセンターはかなり立派な施設だった。



中にノートが置いてあり、訪れた人たちがいろいろ書いていたが、意外と日本人の記載が多い。
ほとんど車で何人かで来ているようだった。

ビジターセンターから少し離れたところにコールドフットの街がある。

ColdfootのPost office 午前中しか開いていないらしい。Web上から転載

北極海のデッドホースまでの最後の補給基地だ。

Coldfootのレストラン。必要なものはすべてここにある。Web上から転載

コールドフットは街とはいえ、郵便局にレストラン、ガソリンスタンドに宿泊施設があるだけだ。
『Milepost』によれば、キャンプ出来る場所があるようだが、分からない。

困っていると、感じのいい男性が「テントならあっちの方ならどこでもいい」と、草地の駐車場のようなところを指してを教えてくれた。
キャンプは無料だった。

水も使えて快適だ。


レストランに入ると、 レジの前でシャロンに再会。
しばらく話す。明日はワイズマンに行く予定なので
ワイズマンで食料が手に入るか尋ねると。店の女性に確認してくれた。
店の女性によれば、ワイズマンでは満足に食料は買えないのでは、ということだった。

そこで「ジェネラルストアはどこだ」ときくと「ここよ」と言うので
「?」という顔をしていたら
「必要なものを書いてくれたら用意するわ」と言った。

欲しいものをリストアップし、女性に渡す。

食パンは一斤凍ったものが出てきた。
インスタントのマッシュポテトやラーメンは無いという。

パスタは何がいい?と訊かれたので「ねじったやつ」と言うと希望の物が出てきた。
またフルーツの缶詰、昼食用のパイ、ツナ缶4つを手に入れた。

「ジャムはない?」と訊くと彼女は
「この中のものを必要なだけ持って行って」と、レストラン用だろう
一回分の小分けになったジャムの入った瓶を差しだした。

私は一つかみジャムを頂いた。


Coldfootのレストラン兼ジェネラルストアの女性。美人だった。写真を撮らせてもらった


レストランでビュッフェスタイルの食事。
冷えたビールがあった。2杯ほど飲む。

料理を取ってテーブルを探していると声をかけられた。
シャロンだ。


彼女のテーブルで一緒に食事する。

シャロンの亡くなった旦那さんは日本を訪れたことがあり、
シャロン自身も約40年ほど前の1963年に日本に行ったことがあるそうだ。

シャロンに「どうしてアラスカに来たの?思っていたアラスカと実際来たアラスカはどう?」と訊かれる。

私は野田知佑や星野道夫の話をし、彼らが語るアラスカにあこがれたんだと伝えた。

しかし、私の拙い英語では十分伝わらなかったようで、
困っていると隣のテーブルの男が立ち上がって話しかけてきた。

聞けば、14年前に8ヶ月の間、ヒッチハイクで日本を旅したことがるらしい。



北海道からスタートし、鹿児島まで行ったという。
シャロンの間に入って通訳してくれた。

彼が突然「オドリアホウニミルアホウ」と言って阿波踊りのまねをはじめたので笑ってしまった。
四国にも行ったらしい。

「四国いいところだよな。私も好きだよ」と私は答えた。
四国か。また行きたいな。


シャロンと話してしているうちにフランク安田の話になった。
Wisemanに彼が住んでいた近くの川が
「Jap Creek」と呼ばれていると話すと興味を持ったようだ。

それから思い出して、ア-クティックサークルからここまでで
『Milepost』の記載が間違っていたところがあったので、
そのことを伝えるとシャロンが意外なことを言った。

「そう、『Milepost』はまだ発展途上のものよ。だから間違いもいっぱいあると思う。気がついたことは言ってね」
『Milepost』はかなり細かいガイドブックであり、
アラスカではメジャーであるため、ライターからそういう話は出るのは意外だった。


食後、レストランを出て外でぶらぶらしていると
トレイラーのドライバーの男性が話しかけてきた。

「君をハイウェイで見かけたよ。バイカーだろ?」と言うと握手を求めてきた。
「ときおり、ダルトンハイウェイで疾走する自転車を見たよ。」

そうやって見られていたことが新しい。


テントに戻るとシャロンの車が隣にいた。
シャロンは車から降りてくるとたくさんの食料をくれた。


有難い。今回は出されたものはすべて頂いた。


明日はWisemannに行きたい。

Sharon Nalutの車





Sharonがくれた食料



















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